アリトホシクズ

 テヅカオタクの楽描きと語りとメモ
 http://xia.sub.jp/m/でも日々つぶやき中
<< 幕間ニュース | main | 繋げてみました >>
スポンサーサイト
【-】  2016/12/02(Fri)

一定期間更新がないため広告を表示しています

「手塚治虫展」@江戸東京博物館感想・その2
テヅカごと  2009/06/05(Fri)23:59

まだまだ書きます。たぎってます。


===展示の内容とか===


下の記事で書いたように、平日でありながら割と人も多かった今回の展示でしたが、それを差し引いても5時間近く会場内をうろつき、尚且つ更に後ろ髪を惹かれる思いで会場を後にさせられるのが、こういう展示におけるファンの常です。さがです。

日本人は、何故こんなにも手塚治虫展が好きなのか。
答えの一つは、そこに手塚治虫の”原画”があるからだ。
(↑かの名高き朝日社説風に言ってみる)

やはり、こういう展示が行われるたびに嬉しいのは、何より手塚先生の生の原画が見られるからで、先生をリアルタイムで知ることのできなかった世代の自分にしてみれば、先生のペンの走りを生々しく感じることのできる原画こそが、ほとんど唯一、先生の生の息吹を感じることのできる手がかりのような気もします。
なんかね、中世に聖地まではるばる旅してた巡礼者ってこういう気持ちだったのかね…!

何度見ても、何かしら新しい発見があるのが、原画の魔力。
例えば今回、初めて気づいて「あらっ?」と思ったのは、
「リボンの騎士(なかよし版)」1964年6月月付録表紙絵(※ttp://tezukaosamu.net/jp/news/n_197.htmlの一番右のイラスト)の、背景のバラのツタ と、
「どろろ」1967年12月3日号表紙絵(※ttp://tezukaosamu.net/jp/manga/310.htmlのスライドショー1枚目の絵)の、タイトルの縁 が、
もしかして同じ色(絵の具)なのかなーということでした。

うーむ、印刷されたものを見ると、「リボンの騎士」バラのツタは黒い背景に沈んだ色に見え、「どろろ」タイトルの縁はタイトル自体の黄色に引きずられて青々しく見えますが、筆のあとも生々しく目で追える原画で見ると、やはり同じ色のように思えるわい。
同じ色でも組み合わせによって印刷したときそれぞれの効果がある、これも手塚色彩マジックですか。

お陰で、長い壁のあっちとこっちにあったこの2枚の絵を、何度も往復しては眺めてしまいました。今度、先生が使われていた絵の具(どっかの本に載っていた気がする)を確認して、画材屋さんでこの色を探してみようかな。

また、もう一つ嬉しかったのは、
「陽だまりの樹」の原画で、良庵が十三奴の腑分けの後に愕然として座り込むシーンの、彼の顔に貼られた濃いグラデーショントーンの下の顔が見られたことだったのです。
すごくいい表情をしていた…!トーンでつぶれてしまうのが勿体ないくらいに…!
先生のアシスタントさんがB・Jのベタ塗りを担当していたとき、ベタでつぶしちゃうB・Jのコートもしっかりと線が描かれていて、ああ勿体無い〜と思いつつ塗っていたという思い出話を読んだことを思い出すなぁ。


しかし、ここまで多くの情報と感慨を与えてくれる原画だからこそ、既に多くの手塚系ブログさんでも指摘されているように、やはり、おおまかなテーマ別形式ではなく、きっちりと年代順形式で見たかった…というのも正直なところ。

初期作品に感じられる、ぐぐっとタメのある線と、だからこそ独特な濃さをもつコマの密度。対して中期以降作品の流れるような線と、コマの間に流れる時間の違い。
その明確な差と、だからこそ改めて思う、先生が時代時代で絵柄を変遷させつつ、なお、それぞれの絵をきっちり”手塚絵”として確立させている事実。
その間に獲得したものと失われたもの。

手塚論の理屈として知っていた、もしくは印刷されたものを読んでそうかなるほどと思っていたこれらは、原画を見たときにこそ、よりダイレクトに、理屈ではなく圧倒的感情を伴う情報としてこちらに流れ込んできます。

だからこそ!原画を見られるこんな数少ないチャンスだからこそ!
年代順でその変遷を追ってみたかったんじゃないかぁぁぁああもうっっ!

先生ご本人が晩年に悩みをおっしゃっていた曲線の震えも、先生のペンの走りを感じられる原画であるこそ、より切々とした思いで見られるわけで、だからこそ同じ会場内にあった初期〜中期の原画…それに描かれた美しく弧を描く曲線との違いを、年代順で追って、より深く感じたかった。ああ、くすん。

そんな線の変遷という文脈の中で各作品を見るからこそ、後期作品の中では明らかにノッて描いているのがわかる「B・J」ピノコの丸っこい曲線の楽しさ、可愛らしさが、どれだけ貴重なものだったかを余計に感じますし、また、「ルードヴィヒ・B」の、まるで後期手塚絵の描線でもって初期手塚絵の密度と実験を再構築しているような、どうよこの瑞々しさたるや!と叫びたくなる線に、これが最晩年の作品だということと併せて、余計にハッとさせられるのです。
(「ルードヴィヒ・B」の絵に関しては、本当に好きで言いたいことが沢山ある)

…というわけで、一通り見た後、また最初に戻って2周目からは、自主的に年代順で追って見てみたのでした。ああ、楽しい。…そりゃ5時間いてもなお足りなく感じるわーい。


あともう一つ、原画だからこそ!な点といえば。
中期以降の手塚マンガで”血”がマジックで描かれていたというのは情報として知っていたものの、今回、上述の「陽だまりの樹」原画を見て改めて、ああ、印刷されれば全部ただの黒一色だけど、主線の墨汁と明らかに違う、ホントにマジックでトントン描いてたんだわーと、これもまたよく分かって感激だったんです、が。

だからこそ、ちょっと見てみたかった。
夏目房之助さんの手塚本において、まだ描きなれておらず”舞台用の紙ふぶき”と評された最初期の「新選組」から、描き方がこなれてきたという「どろろ」まで、せっかくそれらの作品も会場内で取り上げられていたことだし、それぞれのその血しぶきシーンの原画を置いてみて、マジックで描かれた”血”の変遷…なんてのも原画として見られれば面白かったろうになー…なんて。

これはさすがに細かすぎる気もしますが、そろそろ、テーマで語る一般向け作品論的な展示だけではなく、これだけ手塚論が沸騰して成熟してきた昨今だからこそ、技術なども含めて、別の視点から組み立てた展示も見てみたいのもまた、ファンのさがなのです。


とはいえ、今回の展示において、もう一つの「別の視点」…ご本尊萌についてはもう大満足の境地だったわけで!
そこら辺は、また次の記事で〜。(続く)



***関連記事***
「手塚治虫展」@江戸東京博物館感想・その1
「手塚治虫展」@江戸東京博物館感想・その3
「手塚治虫展」@江戸東京博物館感想・その4
スポンサーサイト
【-】  2016/12/02(Fri)







ALL VIEW
script by web素材配布室