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君おもう、ゆえに我あり―『アトム ザ・ビギニング』2巻感想
テヅカごと  2015/12/31(Thu)02:07

ジェッターマルスの年だった2015年も終わりに近づき、カサハラテツロー先生描く『鉄腕アトム』前史物語『アトム ザ・ビギニング』も“マルス”の表紙を引っさげ、いよいよ2巻へ突入。

ややもすれば抽象的になりがちな「ロボットの自我とは何か」というテーマが今回も丁寧に分かりやすく、また要所要所で、ぞくっとするような描写を交えながら、徐々に深化して語られていく様がドキドキしてたまりません。

しかもそれが、A106とマルスらロボットそれぞれのギミックを尽くしたバトル描写など、きちんとエンターテイメントした少年マンガ的展開の中で語られていて、そこが最高に熱い。

「これは、ぼくが生まれるまでの物語」というキャッチコピーと原作『鉄腕アトム』の絵が添えられた単行本オビにふさわしい作品だなあと、今巻もしみじみと味わいながら読んだ2巻です。

 +

1巻に引き続いてのロボットレスリング決勝も、いよいよ終盤。

ライバルロボット・マルスとの激しい闘いの中で、A106のロボットとしての自我が、そのあらわし方が、少しずつくっきりと立ち現われてきます。

(※以下、1巻感想でネタバレとして書いた話と重複するところもあり)

また『アトム ザ・ビギニング』が面白いのは、たとえ激しいバトルの中であっても、A106のそんな“自我”のあらわれが、喜怒哀楽の感情や自由意志なるものとしてではなく、“言葉”による情報伝達をしたい、という欲へと集約されていくところなのでして。

「なぜ?」「応えてほしい」「話をさせてくれ」とマルスに必死で短距離信号を送るA106。
先に負けて壊されていたロボット・ドラムショルダーに見た電子頭脳の反応を「生きている」と表現し、それが発する信号に対して「ボクの声が聞こえるのかい!?」と必死で語りかけるA106。

それは、人間に“言葉”としては聞かれないとしても、ロボットの彼が自分と同じロボットに通じる共通言語だと信じて向ける“言葉”そのものなのです。

しかし、かまわず攻撃してくるマルスに、その“言葉”は届かずひたすら無視される。
わずかな希望を見出すように語りかけたドラムショルダーの電子頭脳もまた「短距離通信を検知」「通信エラー」「信号の内容は不明」というただのプログラム反応でしかないエラーコードを返すのみで、そこにはA106が切望する同じ自我を持つロボットの“言葉”は存在しない。

ドラムショルダーの電子頭脳を抱えたまま「ああ……」と絶望したA106は、やがてマルスに追い詰められ半分破壊された末につぶやきます。
「ボクは……ひとりぼっちのまま壊れてしまうんだな」と。

ボクが守りますと誓ったラン、その命令を忠実に実行してきた主人の天馬やお茶の水の姿を客席に見ながら、その声を聞きながら、それでもやはり自分は「ひとりぼっち」なのだと。

1巻感想でも触れたカサハラ先生インタビューの言葉
自我の本質って、「他者と自己との境界線を持っていること」なのではないか、と。
(中略)
自他の区別が明確になることで、初めて他者を思いやる心が生まれてきます。一方で、自我をもった瞬間から、孤独も生まれてきます。似た存在を求めたり、対話を試みようとしたりするのも、そういうところから生まれてくるんじゃないでしょうか。

この言葉のとおり、A106が他者から境界線を引いた自己というものをはっきり意識したからこそ、この意識した自己がロボットである(=ランや天馬やお茶の水と同じ人間という自己をもっていない)事実を認識し、また一方で、短距離信号という“言葉”を共有する(=同じロボットという自己をもつ)仲間を、応えを返してくれる存在を強く求めた結果の反動として、「ひとりぼっち」の自己を思い知ってしまう、この切なさ。
まるで『火の鳥未来編』で、知能なんてものを持たなければこんな苦しみを感じなかったのにと嘆いたナメクジのような。


でも、それは、天馬とお茶の水が「魂のない機械に真の意味での自律をもたらす唯一の手段」と豪語するロボットの“自我”が形成されていく過程の、いわば成長痛のようなもので。


マルスとの死闘を終えて修理されているあいだ、リセットされたメモリを自己修復しながら、自分が2体いる「非論理的」な状況をバグとして見てしまうA106の白昼夢という、2巻でも特に印象的でぞくっとする画は、そんな自分の中に明確に現れてきた自我を見つめ、なぞり、受け入れていく戸惑いのようであり。

その戸惑いの延長のごとく、無人島編でランを傷つけたマルス型量産機たちに対する破壊を止められない「ボクが……ボクじゃないみたいだ」という衝動は、「これは気持ちなんかじゃない」「だって ボクの自我システムはできそこないだから」とA106自身がつぶやきながらも、そこにはやはりA106が「ひとりぼっち」を自覚した次のステップが見えるようであり。


ランたち人間や動物とは明らかに違う自己、意思疎通のために用いる音声という手段とは全く異なる“言葉”、そして感情表現。
明確にくっきりと境界線が引かれた自己と他者。ロボットと人間。

それでも、例えばA106の絶望を「“ひとりぼっち”だと?くだらなすぎて話にならん」と一蹴しながら主人Dr.ロロの命令に逆らって勝利をゆずってやったマルスも、例えば無人島編で最強の戦闘型機として華麗に登場しながら主人ブレムナー博士の命令を一時無視してまでA106とお互いの意思を交感するように手を差し出したノースも、たしかにA106と同じく自我をもつロボットたちがこの世にいることを、「ひとりぼっち」のA106にそっと教えているのです。

「ひとりぼっち」と自覚する自律した自己をもつからこそ、その境界線の外に存在するもう片方の「ひとりぼっち」たるロボットや人間と意思を通わせ、感情を向け、そのために動くことができる。命令ではなく自ら選ぶそこにあるのは、決して「できそこない」ではない自我。


少しずつ立ち現われていくA106の自我のゆらぎと、そこに気づいているようで気づいていない天馬お茶の水とのズレがやがて起こすだろう決定的な何かへの予感の危うさ。
それでもやはり、ランがA106のために流した涙と、ランが流した血のためにA106が抱いた怒りのような「気持ち」とのあいだには、ぎゅっと胸をつかまれる暖かな優しさを感じずにはいられないですし、みずから機能停止したマルスの肩にそっと手を置くA106の無言の表情には愛おしさを、ノースが伸ばした手を握り「キミにはボクの声が届くんだね…」とつぶやく背中にはこみ上げるような喜びを共感せずにはいられないのです。

それは、子供のときに原作アトムと一緒に泣いて喜び怒り胸を熱くした気持ちと全く同じで。

カサハラ先生のディテールをしっかり描き込んでいるアナログ描線は、機械のフォルムやパーツひとつひとつの仕組みをしっかり感じさせると同時に、体温や色気もあって、無機物のはずの機械が「生きている」ワクワク感や儚さがあるところが、ものすごく手塚マンガ的なので、そこが余計にロボットの自我を描く物語として、こんなにも胸を突かれるんだろうなあ。

作中のロボットレスリングの観客たちが、最初はロボットのぶっこわし合いを娯楽として見ていたはずなのに、A106の「心やさしき」闘いぶりにやがて感情移入していき、ついには半壊したA106に「見てられない」と涙を流し始めるのは、そのまま読者の視線に重なっているのでしょうね。


心やさしき一千馬力の小さな巨人A106。
この子がこれから辿るだろう道が、あの心やさしい10万馬力の少年へどうつながっていくのか。丁寧に紡がれているこの物語を、手塚オタクとしても、ロボットもの大好きオタクとしても、来年もまた引き続き見守っていきたい所存です。
もちろん、才気ばしった青さと未だ世に出られぬ鬱屈と後の冷徹さの片鱗とがいい塩梅にないまぜで、2巻ではお茶の水に「前のめりすぎ」とツッコまれるほど青春ハートまっただなかで突っ走っている天馬くんの赤面も、引き続き愛しく見守っていきたい所存です。
かわいすぎだろ!


 +


さて、『アトム ザ・ビギニング』1巻でもたくさん散りばめられていた手塚的小ネタですが、今回もまた芸が細かくて探すのがおもしろい。

Dr.ロロの帽子についたリボンが『リボンの騎士』サファイヤだなあというのは1巻からはっきり描かれていましたが、さらに2巻では、マイナーチェンジされたランちゃんのセーラー服の袖が、シワが大きく強調されてサファイヤの服そっくりになっています。かわいい。これ普通にコスプレとして3次元の服飾として見たい。

こうなってくると、下の記事でうだうだ悩んで書いていたDr.ロロの名前も、
Dr.ロロ → D(o)r.ロロ → どろろ
というシンプルな語呂合わせだったのかな?と。
サファイヤと同じく男装キャラつながりということで。


そうそう、服といえば、お茶の水くんのTシャツもまたすごいことになっています。

まず、2巻中表紙でヒョウタンツギのTシャツなのはまだいいとして。

無人島編で着ているTシャツに描かれた文字が「W3」とも読めるし、ひっくり返せば「MW」とも読めるデザインになっているのは、行くのが“南の島”であるというシチュエーションを考えてみると、え、いや、あかんでしょうと手塚オタクなら青ざめ助走つけてはぎとるレベル。

それ以外にも、A106修理中に着ているTシャツのデザインは世界終末時計だし、修理完了時のTシャツは太陽モチーフだから、えーと、それ原作でお茶の水博士最大の黒歴史・人工太陽球のことなのか、それともこのトゲトゲ球体はもしかして『W3』反陽子爆弾のほうかしらん。
……と、黒シャツ一辺倒の天馬が断然かわいく見えてくるラインナップです。

無人島編で判俊作くんが着ているTシャツのワンポイントがママーなのは、粋だなあ。

手塚ネタではないですが、ランちゃんのTシャツの胸に描かれた文字が「Tension」なのは、アトムと同じくAIロボット題材だった映画『チャッピー』(2015年公開)で、チャッピーの“ダディ”役になるギャング・ニンジャのパンツに「テンション」と描かれていたことと関係あるのかな?とちょっと気になる。


「岩場に囲まれていて一般の船では近づけない構造」「天然の要塞」という無人島の形は、『白いパイロット』に出てくる小島をつい連想してしまい、これはさすがに偶然かな……と思いつつも、『白いパイロット』と同じくこの無人島をヘビ型ロボが探索しているシチュエーションというだけで、少年サンデー作品好きとしては、ちょっとにまにま嬉しくなってしまうのでした。

マルスのデザインも、カサハラ先生自身が細かく解説されているし、『地上最大のロボット』全部盛りの燃え設定も既にあるので、それ以上の意味はないのしょうけれど、犬っぽい耳を持っているせいか、あのたくましく太い筋肉繊維が見える首筋のあたりを見ていると、どうしても『ホットドッグ兵団』ペロに重ねたくなっちゃうなあ。


お茶の水が、猫の名前を「F−14」だから艦上戦闘機「トム」キャットと名づけるミリオタぶりは、そういえばこの人、長じてロボット宇宙艇造る男だったわ……と思えますし、またA106を気遣っているようでいながら、「シックスに気分って概念はないよ」と彼の目の前であっけらかんと言い放っちゃうあたりは、原作の随所随所で見せるアトムへの不用意な発言(アトラス事件時の不完全発言とか)や扱い(すぐに小学生アトムを事件に呼び出す)の悪意なきうっかり傷つけの数々を思い出させます。

ヤング天馬が、A106を失敗作だ!破棄してやる!と断言したかと思えば「感情」を搭載しようと言いだしたり、闘う姿に命令どおりだわははと喜んでいるのも、これはもう、成長しないからとアトムをサーカスに売り飛ばしたかと思えば他人にとられそうになった嫉妬で連れ戻し、自分に逆らったら機能停止して執務室に転がしていた後の天馬博士の片鱗が見えるわあと涙が出てきますし、お茶の水くんと子供のようにムキになってケンカする姿には、ああこの男なら、中年になっても旧友とのつまらない賭けを忠実に守ってヌカミソ一樽食っちゃうよなあと納得いくのです。

そして何より、未来のヒゲオヤジ先生こと判俊作くんが柔術で強敵ロボットを背負投げしてくれるだけでもう、ヒゲオヤジの使いどころをわかってる…!と泣けてくるじゃないですか。


ほかにも細かいネタがいろいろありそうだなーと思いつつ、ひとまずこの辺で。


とりあえず2巻は、今年度美しさに打ち震えたロボットデザイン賞に輝くノース嬢が、デザインもバトル描写もとにかく素晴らしかったので、そのうち時間ができたら彼女を描きたい……。
これだけ大胆アレンジしていながら、しっかり手塚みを感じるデザインになっているのもまたすごいので、実際に描いてみたら、また発見がありそうだなあ。
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