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 テヅカオタクの楽描きと語りとメモ
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【-】  2016/12/02(Fri)

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『アトム ザ・ビギニング』1巻買ったよー。
テヅカごと  2015/06/13(Sat)22:20

というわけで、とりあえず嬉しさの楽描き。



今のところ、自称「天才」二人がゴキゲンだったり励まし合ったりするときにやっている鼻つまみ合いですが、そのうち今月号みたいにお互いヒートアップしてケンカしているときにも、同じくやってくれたら楽しそうですよね。
だって、ほら、この一方は、みずからの鼻を武器にして相手をたたきのめす、意外と武闘派でもある原作お茶の水博士の若き日なわけですから。

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横の一言日記でもよくつぶやいていましたように、毎月ヒーローズを買って読んでいます『アトム ザ・ビギニング』。
雑誌を追っかけて、切り抜きがクタクタになるまで読み返ししながら、それでもなお、こうして単行本として1冊になったとき、さらに思いが深まるマンガをリアルタイムで読めているのは、本当に幸せなことだな……とまずしみじみ。


第1話の感想記事のときには、天馬とお茶の水というアトムを挟んで対照的な二人をあえて同学年設定にした意義について熱く考えましたが、あれから今回の単行本発売までのあいだに、手塚プロ公式サイトで5月にあったカサハラ先生のインタビューを併せて読み返してみると、また違った印象も浮かんできました。

※こちらの記事→http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201505/special1.html

ここで、天馬博士よりも実はお茶の水のほうが科学者としてマッドではないかと断言しているカサハラ先生がすてきです。まさに目からうろこ。

これまで、天馬のわかりやすい天才性の狂気との対比を通してばかりお茶の水を見ていたのですが、このカサハラ先生の言葉を読んで、ああなるほど、確かに一見“善良”であり良識もあるように見え、そこをアトムという子供が信頼して懐いているからこそ、そしてお茶の水本人もまたそんな自分の属性に微塵も疑いを抱いていないからこそ、実はお茶の水のほうが恐ろしいのかもしれないわと、はっと考えさせられ。

それを踏まえつつ1巻で第1話を読み返してみますと、若きお茶の水ヒロシくんが、天馬と共同開発したロボット・A106の人工知能に見えた“自我”の芽生え、その自発的・自律的な行動(しかも人助け!)に感激して「僕らのシックス…」と涙ぐむ台詞にも、明るい感動や無邪気さと表裏一体の危うさが見えて、ちょっとぞくっとしました。

 +

ところで、アトムをはじめ手塚マンガでは、ロボットに“自我”もしくは“心”があるのは当たり前、といいますか、むしろ、そこ前提の上での葛藤=ドラマを描くことこそが本題になっている場合が多いので、ロボットがそれを持つに至るまでの過程あれこれは、すっ飛ばされがちです。

なので、私がアトムの公式二次創作で毎回楽しみなのは、そんな「ロボットのプログラムに“心”が芽生えるに至るまで」に果たしてどんな理屈付けをしていってくれるのか、作家さんによっていろいろなルートが観られるところ。

で、今回の『アトム ザ・ビギニング』が面白いのは、上述のカサハラ先生のインタビューでも詳しく語られていますが、“自我”の始まりは、自分の意思で行動することでも、また感情でさえもなく、「他者と自己との境界線を持っていること」と定義づけているところなのです。


謎のロボットに襲われたお茶の水の妹(オリジナルキャラのむっつり眼鏡っこで、この子がまたすばらしくカワイイ)を背中にかばって戦いながら毅然と言う「ランさんはボクが守ります」という男前な台詞。
ロボットレスリングに出場し、無敗の王者マルスと対峙しながら心の中でひとりつぶやく「ボクは戦う… ボクを作ってくれた天馬様とお茶の水さんのために…」という台詞。

しかし、A106の“自我”を指し示すのは、実はこれらの決意と意思に満ちあふれた台詞ではなく、同じロボットのマルスに向けて語りかける「ボクはキミと…話がしたい」のほうではないかと思われます。


天馬が大学院の研究報告会で、「プログラムの量をひたすら増やすことによって自律しているように見せる」とほかの研究室をこきおろして言う、人間の模倣としてプログラムされた“自我”ではなく。
人に作られたモノとして、それに従い、また守るためにみずから考えて(ときには身を挺してまで)動いてみせる、人間の活動の付随物としての“自我”でもなく。

マルスに、同じロボットとして、同じロボットだからこそ「話がしたい」と語りかけるA106の言葉は、それまでの「守ります」「戦う」からさらに一歩踏み込んだ、ロボットとしての欲求を初めて言葉にしてみせた、ロボットとしての“自我”を彼が明確にあらわした瞬間なのです。

ここを1巻の最高潮、またヒキに持ってくるという構成がね……!
すばらしく熱いし、泣けますね……!!!


※↓ここからちょっと2巻収録予定部分(6・7話)ネタバレあり

このA106の“自我”の発露が、「言葉」による情報伝達というものに集約されていくのもまた『アトム ザ・ビギニング』のすばらしく面白いところでして。

マルスとの闘いの最中、「答えてほしい」「話をさせてくれ」とA106は何度もマルスに向けて短距離信号を発し続けます。人間には聞こえないそれは、ロボットの彼が同じロボットに通じる共通言語だと信じて向ける「言葉」そのもの。

それをマルスに無視され続けたまま、先にマルスに壊されていたロボット・ドラムショルダーの電子頭脳にもA106が「まだ生きている」と語りかけたとき、ドラムショルダーの電子頭脳もまたA106の信号を受信して反応するのです。
初めてロボット同士で「言葉」が通じたのかと驚き、「ボクの声が聞こえるのかい!?」と必死で語りかけるA106。
しかし、ドラムショルダーの電子頭脳が返すのは、「短距離通信を検知」「通信エラー」「信号の内容は不明」というエラーコードのみ。
それはただのプログラム反応であって、A106が「話がしたい」とこい願う、同じロボットの“自我”ではない。
ドラムショルダーの電子頭脳を抱えたまま「ああ……」と絶望するA106。

そして、無言のマルスに追い詰められ半分破壊されたA106は、天馬やお茶の水やランに「さようなら」と別れを告げつつ、「ボクは……ひとりぼっちのまま壊れてしまうんだな」と呟くのです。

守るべきラン、その命令を忠実に実行する主人である天馬やお茶の水の姿を見ながら、その声を聞きながらも、しかし、自分は「ひとりぼっち」なのだと。

そこにあるのは、自己と他者を分け、自己の本質=ロボット(=ランや天馬やお茶の水と同じ人間ではない)という事実を認識し、だからこそ短距離信号という自分の「言葉」を共有し得る仲間を強く求め、誰かボクの「言葉」に答えを返してくれと叫び続ける、ロボットとしての“自我”。


ロボレス編が終わった今月号で、そんなA106の短距離信号と、それに最後に答えたマルスの返信との記録を調べたお茶の水は「まるで独り言でもつぶやいてるみたい」「シックスの語りかけに何かが応えたみたいだ!」と表現します。そこに、プログラムでもエラー反応でもない“自我”を持った者同士の会話を見出したかのように。

そして、A106もまた、最後の最後にようやくマルスに「くだらなすぎて話にならん」と言葉を返された彼との会話を反芻しながら、自分と人間、動物との意思疎通・感情表現方法―「言葉」の違いを自問自答し続けているのです。

まるで、自己と他者の境界、ロボットと人間の境界がさらに明確になっていくことで立ち現れていく“自我”の輪郭線を強く太くなぞるかのように。

だからこそ認識できる他者=A106を思いやりつつ目の前のことに研究者として夢中になる視野狭窄も持ち合わせたお茶の水、壊れた自分を治そうと奮闘し、治ったら大粒の涙を流すラン、こいつは失敗作だ廃棄しろと言いつつ結局修理する天馬、そして研究室の飼い猫F14にまで対して、確かに“感情”と呼べる意思を向けながら。


そこには、自分はロボットなのか人間なのかとぐらぐら思い悩む「トビオ」時代から、やがて「アトム」という名のロボットとして“自我”を確立していく道が明確に描かれていた『アトム今昔物語』アトムの姿が、私には確実に透けて見え、胸をぎゅっとつかまれてやまないのです。

※↑ネタバレここまで


 +

それにしても、カサハラ先生の描かれるメカ描線は本当にすばらしいな〜。
まるっこく、どこかとぼけた愛嬌がありながら、しっかりと各パーツが描き込まれていて、一つ一つの形、接合部にまで理論だったものが見えて、フォルムからアクションシーンでの動きから全てにドキドキワクワクする。
単行本巻末のオマケで、A106は「シャルル・アンリの美学理論」というのに沿い、正中線に対して上向きの線=上昇線(陽気・明るさ等ポジティブな感情を現す)を意識してデザインしたというコメントがあって、感激しました。

ちなみに、天馬とお茶の水のキャラデザは、
こちらのインタビュー→http://natalie.mu/comic/pp/atomthebeginning/page/2
によると、コンセプトワークスのゆうきまさみ先生なんだそうで。
第1話感想のときにも書きましたが、ヤング天馬のデザインが、手塚マンガの睫毛キャラ系譜をほのめかすような顔つきなのがすごくイイんですよね……。
手塚マンガの睫毛キャラ系譜といえば、アラバスターロックとか、ダイバダッタとか、美知夫とか、とかとか、つまり自分の優秀さを自負し天才として派手に振る舞いつつ、どこか詰めが甘くて結局失敗しちゃってそっと涙を吹かずに入られない、残念イケメンくんの系譜ですよ!
というわけで、この天馬がこれからどんな顔を見せてくれるのか、かなり楽しみです。(で、やっぱり『上を下へのジレッタ』門前も入っている気がしてしょうがない)


そういえば、第1話でコロッケパンをお茶の水と天馬がうまいうまいと食べていたのは、「実家は馬鈴薯農家」という原作天馬の設定からの小ネタなのかな。
とか。
謎の美女博士Dr.ロロの帽子のリボンが『リボンの騎士』模様ということは、やはり彼女は……ということなのかしら。
とか。
お茶の水・天馬が大学院生で、探偵志望の青年伴俊作くんがオヤジに「塾に行け」と言われているということは高校生ぐらい、つまり丙午年(=1966年)生まれで2003年アトム誕生時に37歳だったはずの原作天馬と、『ホットドッグ兵団』アトム在学時点で42歳だった原作ヒゲオヤジと、同じぐらいの歳の差にちゃんと設定されているんですね。
とか。

研究室の猫=アトムキャットなど分かりやすい大ネタ以外にも、細かい手塚ネタがいろいろ散りばめられていて、こういうところも本当に楽しい。


この絵で、このストーリーコンセプトで、この設定で、これからどんなふうに新しい形の「アトムの物語」を見せてくれるのか、どこまで突き抜けていってくださるのか、来月以降もワクワクと読んでいきます。
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