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日本SF展・SFの国@世田谷文学館
テヅカごと  2014/09/19(Fri)23:39

世田谷文学館企画展「日本SF展・SFの国」




戦前の海野十三から始まり、戦後の小松左京、手塚治虫に星新一、円谷英二や大伴昌司などなど、「SF」という旗印のもとに集い、才能をほとばしらせていった天才たちの仕事を、小説、マンガ、特撮、雑誌編集とジャンルを問わず縦横無尽に紹介し、そこから生まれていった一つの文化としての軌跡を多角的に追うというこの展示。

いやー、行ってよかった!
一昨年の「地上最大の手塚治虫」展もそうでしたが、一つ一つの展示物が独特のコンセプトに基づいた動線に沿って置かれているので、それほど広いわけではないスペースをめぐる一歩一歩が、何とも言えないわくわく感にあふれた旅になる密度と満足度でした。


展示では、ビジュアル面でのSF文化はもちろんなんですが、小説、特に生原稿の数も目立っていまして、そうそうたる顔ぶれの原稿をあれだけ一気に見られるというのは、興奮を誘うと同時に、ああ、この人はこんな字を書いていたのねと、納得と意外性を同時に味わう楽しさもあり。

ホシヅルに通じるのほほんとした可愛らしさがある清書原稿と、気がおかしくなるほど小さくて米粒のような下書き原稿とのギャップがおかしい星新一の文字。
構想のための計算メモ、横にさらりと添えた覚え書きや挿入などの手直しでも、字の列にスーッと線を引けそうなくらい、まっすぐ几帳面なのが意外な小松左京の文字。
ペンが走る音が聞こえてきそうな、うっとりするほど恰幅の良い筒井康隆の文字。

そして、何より。
畳の上にその紙をまっすぐ並べ、正座して一文字一文字を眺めたい海野十三の文字。
初めて見ることのできた生の文字、これだけでも、本当に行ったかいがありました。

今回知ったんですが、世田谷は海野十三ゆかりの地でもあったんですね。
というわけで、展示物の中には世田谷文学館蔵のものが複数ありましたし、今回の企画展パンフレットも、このとおり表紙、裏表紙に東光出版全集の絵が使われているという力の入った海野十三押しでした。何て素敵。



日本SFの父、海野十三の名を知ったのは、もちろん手塚マンガ経由から。
どれだけ面白いのかと憧れ続けた末に、高校の図書館でようやく手に取ることのできた『新青年』掲載作収録の傑作選、そしてその後、青空文庫の恩恵を受けて読み進めていったのですが、読めば読むほど、筋が通っていながら自由自在、熱いようでいてどこか突き放してもいる、モダンでありながら奇妙でグロテスクでもあるこの空想科学世界が、どれだけ手塚マンガ世界の土台を形作っていたのか……と感じずにはいられません。

戦後、亡くなる前の海野十三が、若き手塚治虫を自分の後継者と目し、会いたがっていたという話は、今までに手塚研究本などでも読んだことがありましたが、こうして「SF」を俯瞰する展示の中で改めて解説文として読むと、余計ぐっとくるものがありました。
しかも、その解説が添えられていたのが、病床で横溝正史に宛てたという本当に情感の込もった字で書かれた手紙で、感謝とともに、体は大丈夫です、元気です、ご心配なくとしきりに繰り返しているこの手紙を送ったその夜に、大喀血して亡くなったという一文で、解説が締めくくられていては、もう。

実現することのなかった二人の邂逅。
もしあったとすれば二人は何を語ったのか、戦前SFを形作った一人である天才は、やがて戦後SFを形作る一人になっていく天才に何を見、受け渡し、託すはずだったのか、そこから何が生まれていたかもしれないのか、考えれば考えるほど、あってほしかったと思えてならない歴史のIfの1つなのです。
ああ、残念、無念。


そんなわけで、テヅカ脳の私としては、今回の企画展でもやはり手塚先生関連中心につい見てしまうのでして。
特に戦後SFを形作った「第一世代」5人(星・小松・手燹ε井・真鍋)の1人としてピックアップされていたメインの展示はもちろんなんですが、その他の細かいところでも、あちこちに手塚先生の足あとを見つけては、嬉しくなってしまったり。

個人的に気になったのが、日本SF作家クラブの会報。
ひどい言い様なのにそのひどさすら洒落ている小松左京の会長就任あいさつや、星新一のつぶやきのようなコラムなど、ちょっと楽屋的というか身内感にあふれていて楽しいこの会報を見ていくと、何かというと会員内で「励ます会」が開かれており、そして手塚先生も1980年『火の鳥2772』の完成に伴い開いてもらっているんですね。

「励ます会」と聞くと思い出すのが、『七色いんこ/シラノ・ド・ベルジュラック』。
作中で、その才能と情熱のために人の演技をズケズケと毒舌で叩いてしまう元名優・湖月が出てスピーチをしている会のタイトルが、まさに「BJをはげます会」(最後の文字は切れてるけど恐らく「会」と思われ)なのです。
この回の雑誌掲載は1981年7月なので、手塚先生の中で前年に開いてもらった励ます会のことが印象に残っていて、お遊び的に(まだ同時にこの回掲載の少し前まで放送されていた加山雄三版実写BJのことも念頭に置きつつ)このタイトルを入れたのかしらと考えると、ちょっと面白い。

あと、もう一つ、おおっと思ったのが、武部本一郎画伯の原画。
SFという文脈で言えば、あのバロウズ『火星のプリンセス』の色っぽい表紙を描かれた方というのが正しい認識なんでしょうけれど、テヅカ脳の私としては、一時期、もしかして手塚先生の別PNだったのではないかとまことしやかにささやかれ、ちょっとした夢とロマンを見せてくれた「城青兒」なる謎のマンガ家の衝撃の正体だったと数年前に明かされた大物画家という印象が大きいですし、だからこそ余計にときめくのです。

その別PN説の根拠の一つ、つまり後々までファンを惑わせる一因となった手塚先生の『化石島』前書き「この本をつくるにあたって、城青兒先生に非常なご援助をいただきましたことをあつくお禮申し上げます」という一文と、その『化石島』の絵物語調パートの緻密な絵を思うと、今回の企画展で初めて見られた武部画伯の原画の筆跡も生々しく力強い美しさに、二重の意味で感動したのでした。


まあ、そんな小ネタも楽しみつつ、やはり手塚オタクとしてのメインは手塚マンガ原画。
特に、上述した星新一の米粒文字に負けず劣らずの細かい描き込みがされている『鉄腕アトム/赤い猫』の原稿は、どれだけ眺めても飽きることがなく、初期手塚マンガの描線の美しさに改めてほれぼれさせられ。
絵の細かさももちろんなんですが、ヒゲオヤジが公団の土木課を訪ねるところの俯瞰シーンなんて、小さなコマの中にモダンでどこか威圧的な部屋をおさめて見せてしまう構図のうまさ、線の迷いなさが、原画だと恐ろしいくらい伝わってきて、本当にしびれる。

ちょうど先月発売された『チェイサー』2巻(手塚治虫に本気で嫉妬する主人公マンガ家の目線を通して、昭和20年代〜30年代の手塚治虫怒涛の仕事ぶりを克明に描くマンガ)で、アトムなんて手塚作品でも陳腐だ、いや特に初期の細かい画面構成と造形は芸術的だ何だと、主人公海徳と奥さんのアトム論争が描かれていて、海徳の熱弁に、うんうんと涙ながらに頷いていたところだったので、ほらほらやっぱり初期アトムのこの芸術性的すばらしさよ!と海徳よろしく私も誰かれ構わず熱弁したくなりました。

ああ、すばらしかった。


しかし、そんな嬉しい原画展示だからこそ少し気になったのは、『ロストワールド』の“直筆原稿”が何の説明もなく、ただ1948年作品として展示されていたこと。

去年観に行った都現美の「マンガのちから」展では、初期SF三部作の“直筆原稿”に関して、オリジナル原稿は既に紛失しており、この原稿は全集発行の際に新たに描き直しされたものだという正確な説明がきちんと付されていたことを思うと、今回のこの展示の仕方は、ちょっと大ざっぱではないかと感じたのでした。

これは、描き直しが多く、その関係も入り組んでいる手塚マンガだからこそ、一言欲しかったなあと。ほぼオリジナルだった『赤い猫』(1958年)がすぐそばに展示されていて、『ロストワールド』の綺麗さが目立ったからこそ、なおさら。

とはいえ、企画展全体を見てみれば、そんな細かいことなんざ吹っ飛ぶぐらい楽しかったので、まあいいや。


ところで、上述した「第一世代」5人については、その作家性を説明する大パネルが企画展メイン会場の壁に展示され、それぞれの前に1コーナーが設けられているという趣向だったのですが。
他の4人は、そのパネルの中に散りばめられた文章がすべて本人たちの言葉だったのに対し、手塚先生のパネルだけは、本人ではなく「作家たちが語る手塚治虫」という内容になっていたのは、もしかして、テヅカ関連で一番信用ならないのは「ソース:本人」だというのがもはや明白だからなんでしょうか。
と、そこはちょっと笑えた部分でした。




感想を書こうとしているうちに2週間たってしまい、残り会期も少なくなってしまいましたが、本当にオススメの企画展でしたので、機会のある方はぜひぜひ。




チケットもかわいい!
下地の銀色の部分がちゃんとメタルインクなので、懐かしい未来感が満載。
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