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半径数十メートルからのファンタジー
テヅカごと  2013/08/05(Mon)02:21

『ブラック・ジャック創作秘話』実写ドラマの情報が出てきました。
http://natalie.mu/comic/news/96228
http://www.ktv.jp/info/press/130801.html

おおう、随分ときれいどころからキャスティングが来た。
すいません、原作の絵柄的にもっとVシネ的俳優さんなんじゃないかと思ってました。

これはつまり、原作のあの暑苦しい手塚先生を暑苦しい役者が演じたら、本当に暑苦しくて大変なことになっちゃうので、せめて中の人のパブリックイメージ(爽やか草食系)で、お茶の間に届けるハイビジョン映像を緩和しようという狙いなのかしらん……
と、キャスティングの意図を考えてみるものの、いやいや、この原作に関しては思いっきり暑苦しくやっていいのよ、むしろそういう暑苦しいドラマをこそ見たいんだけどね!と、暑苦しいのゲシュタルト崩壊に陥りつつ、このキャストでの手塚先生をぐるぐる想像しています。

とりあえず、風呂桶片手に爽やかに実家まで逃亡するオサム青年までは、すんなり脳内で3次元化できたんですけれど、ドラマでやるであろう70年代の無精ヒゲと汗にまみれてスネ毛むき出しのおっさんオサムに関しては、アイドル事務所的に大丈夫なのだろうかとちょっと心配になってしまう。
(同事務所の後輩さんたち主演で永島慎二先生のマンガを映画化したときは、無精ヒゲにステテコで本当にひどい格好もしていたので、ある程度やってくれるとは思うけど)

とはいえ、実際に見たら、素人が勝手に心配してマジすいませんでしたあああ!と土下座したくなるドラマはよくあるので、役者さん(とメイク)の本気に期待しています。


個人的には、キャスティングよりも気になったのが、ここ。

>現代の新米編集者が往事の手塚治虫のもとにタイムスリップしてくるという、
>ドラマオリジナルのストーリーが展開される。

……え?オリジナル?というかタイムスリップ?

ううーん、引っかかる。実に引っかかる。

なぜそこに引っかかるかというと、数年前にあった、この手塚マンガリメイク作品をついつい思い出してしまったからなのです。
こちら→『サファイア リボンの騎士』

この『リボンの騎士』リメイクが、どういう作品だったかというと。
舞台は現代よりちょっと未来の東京、サファイヤはフツーの女子中学生。
それがある日、ふしぎな力に目覚めて、魔法少女チックな“リボンの騎士”に変身して戦うことになっちゃった!えええ私どーなっちゃうのおおおー!?というあらすじ。
(※この「どーなっちゃうのー」は実際に予告にあったセリフ)

これの連載当時、読んだ人の感想についていろいろと検索していたんですが、その中で、どこで見たのか忘れてしまったものの、印象深い言葉がありました。
曰く、現代の少女向けマンガは、読者の半径数十メートル以内が舞台でなければ共感を得られない、と。

これには恐らく異論があると思いますし、実際に現在連載されている少女マンガにも現代舞台モノ以外の作品は複数あるので100%正解ではないんでしょうけれど、なぜわざわざ『リボンの騎士』を現代設定に改変したのかという疑問に対して、「なかよし」という媒体と併せてみて一番納得のいった理由が、これでした。
あくまでも受け手の少女たちの問題ではなく、送り手側の認識の問題として。
実際、サファイヤはあなたと同じフツーの日本の中学生なんだよ☆応援してあげてね☆と読者に向けて発信しているように感じられることが、しばしばありましたし。


ただ、リメイクで設定を現代に置き換えるというのは、よくある方式なんですけれど、この作品に関しては、サファイヤを現代の女子中学生にして、しかもサファイヤの持つ二面性が、男女の心を2つ持つ“性別越境性”ではなく、魔法アイテムで変身してオンオフの姿を使い分ける“魔女っ子特性”になった時点で、『リボンの騎士』のリメイクである必然性がよく見えなくなってしまった作品だったんですよね。

もしも仮に、読者の共感を得るため、もしくはファンタジー物語への橋渡しにするため、サファイヤを高貴な王女兼王子様ではなく、読者に近いフツーの女子中学生にしたのだとしたら、上述した『リボンの騎士』のリメイクである必然性を覆い隠してまで、それは重要視しなければいけない要素だったのかなーと今も思えてなりません。
『リボンの騎士』のような架空欧州ファンタジー、あるいは水野英子先生の『白いトロイカ』や24年組のギムナジウムもの、もしくは同じ日本でも大正時代の『はいからさんが通る』のように、読者の日常から全くかけ離れた物語が連載され、熱狂されていた時代の女の子と、現代の女の子たちとで、感受性がそこまで変わったとは、正直思えないですし。


もちろん手塚先生自身、『鉄腕アトム/赤いネコ』の前書きマンガで、物語の舞台が読者からなじみうすいものになってしまい過ぎないよう、読者が親しみを持てるよう、現代の日常のものをわざと織り交ぜて描くことが、SFマンガの描き方の一つだと挙げています。
ローカルな田舎風景と壮大な宇宙スケール裁判が、地続きでつながっている『W3』なんかは、その織り交ぜ方のまさに最高傑作の1つ。

とは言うものの、初めから物語の構造に組み込まれているそれらと、物語内に導入するために建物の外に建て増しされた扉のような、これらサファイヤ女子中学生化やタイムスリップ設定とは、また別物なんですよね。


ドラマの企画意図として、公式ホームページには

>“モノづくりの面白さ”がココにある。

>“手塚治虫の生きざま”を通して、見えるものとは…!?

とあるので、「実は漫画になんてこれっぽっちも興味がない」という設定のタイムスリップ編集者が手塚先生の熱意を見て、それを感じ、学び取って成長していくストーリーになるであろうことは容易に想像できる。

しかし、その「モノづくりの面白さ」「手塚治虫の生きざま」という当時の熱気を物語の中で視聴者に伝えるのに、オリジナルの登場人物によって“現代人の目線”というわかりやすいフィルターを作品世界の中に直接はめ込まなければ、それは画面の外まで伝え切れないものなのかしらんとちょっと疑問に思えてしまうのです。

それこそ大河ドラマや、もしくは近年多い『三丁目の夕日』『官僚たちの夏』のような昭和時代モノのように、純粋にその時代を描くだけで十分できないのかなー。


というわけで、今回のドラマの「タイムスリップしてくる新米編集者」という設定に、かつてのあのサファイヤ女子中学生化と似たものを感じて、心がざわっ……となってしまったわけなんですが、それがどうか杞憂でありますように。
“現代人の目線”というフィルターによって、やけに滅菌消毒されたドラマにならないことを願います。“現代人”の半径数十メートルの目線からしたらあまり理解できない、正直ドン引くぐらいの毒の部分にこそ、このマンガの面白さと熱気の根本があると思うので。

 +

個人的に『ブラック・ジャック創作秘話』は、手塚先生すげえ!やっぱり神!と称賛して読むマンガという以上に、創作者のどうしようもない業、圧倒的に巨大な“天才”の熱気に当てられ振り回される“凡人”の幸不幸と悲喜劇、それら全てが狂気すれすれのところをうねるような熱気として駆け抜けていった時代への追憶という部分のほうに、より心惹かれつつ読んでいます。
なので、その辺をあんまり美談か模範か何かのように見せてしまうのも、現代からタイムスリップしてきちゃった社会人1年生さんには、新人研修としてちょっと刺激が強すぎるんじゃ……とハラハラしてしまう。

 +

とりあえず主要キャスト2人が発表されたので、次は、3巻きっての愛しキャラだったアクツさんのキャスティングを早く早く。
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