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佐々木小次郎という男
テヅカごと  2011/12/25(Sun)03:36

先日、こことpixivで旋風Z(+佐々木)マンガを再録したんですが、pixivのほうで他ジャンル方面から来てくださったらしき方から、原作を探しますとという嬉しいコメントをいただいて舞い上がり、「旋風Z」だけでなく、スターシステムで出していた佐々木小次郎のこともぜひぜひよろしく!と打とうとしたところで、ふと気づきました。
そういえば、佐々木を単体でオススメするときは、どの作品を示せばイイんだ?と。

うん、まあ、例えばこれがロックなら、まずは入りやすい「B・J」を読んでもらって「刻印」に達したところで「バンパイヤ」をそっと手渡すとか、もしくは初めからストレートに「バンパイヤ」一択でガツンとかましたところで「ブッキラ」か「ロック冒険記」「キャプテンKEN」でとどめを刺すとか、いくらでも思いつくんですよ。
というか、これは学生時代からジャンル外の友人に勧めるときの鉄板ルートだった。少なくとも、偉大なる手塚治虫のキャラに“萌える”という行為への理解はしてもらえた。
21世紀に入ってからは、さらに「メトロポリス」という名の強力なロックPVが加わってくれましたしね。高クオリティの音と動きが加わったロック様の効力マジ最強。
(ただし、映画のあとに原作を貸して、ロック出てないじゃん…とショックを受けられることが続いたため、「来るべき世界」等もセットにして渡すべきだという結論に達する)

しかし、佐々木の場合、人にオススメしやすい有名作品では地味な脇役ポジションだし、数少ない主演作品だって知名度的にも内容的にも地味な作品だし、しかも「ナンバー7」も「ハトよ天まで」も佐々木が出てくるまで少し間があるし、そもそもメトロックのレベルでまともに動いてる佐々木を見られたのっていつの話だっけ、平成に入ってからはTVアニメ版B・Jの動けソロモン回ぐらいだっけ……状態。
ということに改めて気づいて、ちょっと固まりました。あれー。

本人の行動はハデなのに、テヅカ界での総合的存在感は至って地味なのが佐々木…
うん、そういうところもしみじみと大好きだよ佐々木……。

 +

…というわけで。
ここ1カ月ばかり <<佐々木のオススメ作品鉄板ルート>> の開拓を目下最重要課題と位置づけて仕事の合間に考えていましたら、いつの間にか、なぜ自分はここまで佐々木に燃えて萌えて一番なのかという思考整理の旅になり、煮詰まったところで浮上したらコカさんのツイッターで佐々木話題が出ていて頭がパーンとなったという←今ここ。

なので、長くなるのを承知で、佐々木について思考整理した結果を以下に出力してみようかと。まとまる自信ないけどね!


 +

さて。
「おお!われら三人」は、そんな佐々木のデビュー作で、まさに佐々木の原点にして完成形、レジェンドの始まり、どこのコマを切り取ってもディスイズ・ザ・佐々木と語り倒せる自信がありますが。
中でも特に、ああ、佐々木だなあとじんわり好きなのは、佐々木と落江が砂浜で月を見るシーンなのです。

青臭い真っすぐさだけじゃどうにもならない大人の世界を垣間見てしまって、そのイラつきを子供っぽい自己正当化「おれぁ悪くない!」に変えて(また、それをしなければ自分を保てないのも知っていて)独りで竹刀にぶつけてみたり。
(※シチュエーション的に、「アドルフに告ぐ」で芳男が特高に話しかけられるシーンと似ているせいか、よけいに佐々木の正直な感情の出し方がまぶしいんですよ、ここは)
そうやって自分の不甲斐なさに落ち込んでいるときでも、友人のことをさらっと素直に「猿飛はえらいですよ」と口にすることができたり。
それに続けて「ぼくァだめだな…」と言いながらも、別にそこでグズグズ卑屈になることもなく、次のコマではもう立ち上がって「いい月だなあ」と笑ってたり。

この!たった1ページに凝縮されているものこそが、ですね…!
怒ったり落ち込んだり感情の起伏が激しくとも、すぐに切り替えられる潔さ。
プライドが高くとも、一たん自分が認めた相手は純粋に褒められる素直さ。
一見オレ様体質な強い自負心にあふれてるけど、それが嫌味な傲慢さに向かわず、気持ちよく陽性の方向にエネルギーが走っていくのが佐々木なんですよ。
ディスイズ佐々木!

デビュー作の冒頭で早速、高千穂と猿飛に強烈にかました、一度相手を認めたらとことん認める明るい素直さは、その後も、同じく「おお!われら三人」終盤で、宮本のことを臆面もなく「いい男だ」と笑顔で日記に書きとめたり、「ナンバー7」でミッチを仲間に誘うときの勝負もそうだし、「魔の山」でも何だかんだ言いつつケンに命を預けてるし、「どんぐり行進曲」は前半のイヤな奴っぷりが堂に入ってる分よけいに変化が大きいし、「フィルムは生きている」で武蔵の絵を震える手で持つときもそう。あーかわいい。

 +

そんな、悪く言えば感情のジェットコースター、よく言えば自分に正直であけっぴろげな佐々木の潔さが、存分に発揮されているのが「ナンバー7」。

キミコを宇宙人のスパイじゃないかと疑って、見張ったり煽ったりしていたくせに、いざ彼女が博士を助けたら、倒れた彼女を「しっかりしろ」と抱き起こす(この場面は、本来の物語ポジション的には、七郎のほうがキミコを介抱すべきなはず)。
目を覚ました博士に、君が助けたのかと問われれば、「残念ながらキミコさんです」と返事する。ここで、「残念ながら」と冗談っぽくつけ加えずにはいられなくとも、さらっと、しかしきちんと即答する佐々木の苦笑交じりな表情がたまらんのです。
そして、いざ博士にキミコの正体を明かされれば、やっぱりちくしょう!といきり立ち、しかし続けてキミコが今では味方だと告げられれば、これまた本来は一番にいうべきポジションの七郎よりも先に彼女を受け入れることを、さっさと宣言します。

相手の一言一句にいちいち反応して、またそれを正直に表にだだ漏れさせては、くるくる変わっていく佐々木の表情が絶妙で楽しいこと、愉しいこと。

「ナンバー7」の佐々木は、自分の非を悟ったら言われてもいないのに自らボーズになろうとしたり、もう意味がなくても合図のノロシを律儀に上げて呆れられたり、頑固で融通のきかないところが目立っていて、それは「おお!われら三人」で見せた一本気な性格の延長で発展型なんですが。
その頑固さをどちらの方角に向けるかという根元の部分は、実は周囲に対して驚くほど柔軟ですらあります。
佐々木の潔さは、「竹を割ったような」という言葉が似合う気持ちよさだと思いますが、同時に若竹が持つ柔らかさを持ち合わせているのもまた、佐々木なのです。

 +

だから、佐々木の真っすぐさは、いわゆる“主人公”的真っすぐさとは違うもの。

「ナンバー7」で、キミコに対して、君は本当は宇宙人なのか、逃げるなとストレートにまくし立て、「私は人間よ」と叫ばせるまでの追い詰め方をしてしまうのは、真っ先にキミコを疑った佐々木ではなく、七郎のほう。
「おお!われら三人」のバリエーションの1つが「アリと巨人」だと先生が公言されていることから、恐らく高千穂=「アリと巨人」マサやんですが、そのマサやんもまた、同じように真っすぐでキレイな正義で、ムギやんを真正面から追い詰め、逃げ道をなくしてしまうある種の残酷さを持っています。
「フィルムは生きている」武蔵が、映画の夢はどうした、何か言うことはないのかとまで佐々木を追い込む弁舌は、同じことを梅軒が自分に言ってくれたときの包容力はどこに忘れてきたんじゃコラと言いたくなる問い詰め方。

しかし、佐々木の真っすぐさは、結局のところ、己が己でいるためだけにあるもので、そのために他者を眼中に入れない偉ぶった態度に見られることはありますが、逆に返せば、その真っすぐさが自分ではなく他者を追い詰める方向に行くことはない。
「フィルムは生きている」で佐々木のほうが武蔵になにか言うにしても、それは、あくまで相手の実力を認めた上でのじゃれ合いのようなもの(そこに、この俺が認めてやってるんだぞ!的な上から目線が含まれてるにしても)。
人をイラッとさせる才能を発揮することがあっても、人の心の底を真にえぐるようなことは言わないし、言えない。
まあ、そもそも追い詰めようとしたところで、隙があるし詰めが甘いのもまた佐々木なわけで、そういうところも、やはり彼は“主人公”キャラにはなれないところだし、だから“主人公”キャラの脇で活きるしなやかさを持てるんだろうなあ。


初期の「おお!われら三人」「複眼魔人」での直球ばかりの純情少年から、「ナンバー7」「フィルムは生きている」での陽気なちゃっかり者の役を経て、後年の作品では変化球の腹黒陰謀も飄々とこなせる世渡り上手な男を演ったりするように変わっていく中でも、こういう芯をなす陽性の部分は、実はずーっと一貫して変わらずつながっているのが、キャラ造形としてすばらしく巧いなあと思うところなのです。

 +

で、この佐々木の芯の部分を構成するベースは、これもデビュー作「おお!われら三人」から出てくる設定、実はエエトコのボンボンというのが大きいんじゃないかと。

激昂すると素で命令口調になったり、かと思えば初対面で気に食わない相手(宮本)のこともちゃんと「きみ」と呼んでいたり、「おお!われら三人」で一見乱暴な中にふっと挟み込まれる坊ちゃん育ちゆえの言動は、そのまま「フィルムは生きている」につながっていきます。

この面が特に強調されている「フィルムは生きている」佐々木は、家出してきた身のくせに大事な虎の子をぽーんとを武蔵に支払ってしまったり、甘納豆を買うのさえためらう男に秘蔵の桃缶を開けさせたり、そのお値段やお金の重みについて、切実な意味での実感は持っていなさそうです。

一歩間違えればひどい鈍感さですが、こと斜め方向に真っすぐな佐々木がやると、武蔵の部屋にずけずけと無邪気に上がりこんでのける図々しさすら、どこか陽気で、しょうがない佐々木だから……とつい思わせられちゃう不思議。

金がらみで佐々木が、「ハトよ天まで」「未来人カオス」で見せる抜け目なさ、「ひょうたんなまず危機一髪!」で出すがめつさは、例えば「来るべき世界」「0マン」でランプがのし上がっていくときの泥臭い貪欲さや、「バンパイヤ第2部」でロックが身にまとう、壮大な悪事をするにもまずお金が必要だよねそうだよね…というリアルな世知辛さとは違う種類の、いってみれば冗談めかしたゲーム感覚のようなもの。

お金方面に限らず、出世欲にしろ名誉欲にしろ、傍目にはそう見えるものを出していて、また高いプライドゆえにあえてそう見せているところもありますが、実のところ、その行き着く先にあるもの自体にはあまり執着していないんだろうな。
それは、素が坊ちゃんゆえの余裕なのか、はたまた、生きていくことそのものへの絶対的自信があるためか。
どちらにせよ、目的のための手段ではなく、いつだって手段そのものを大いに楽しんじゃってる感は多々ありますよ、この坊ちゃんは。

 +

ただ、佐々木の土台になっているこの坊ちゃん気質は、明るさだけではなくほろ苦いものもはらんでまして。

「ナンバー7」で友人を見殺しにせざるを得ない状況で、始め自分は残ると言いはっても、命令と言われれば泣きながら納得させられてしまうように。「フィルムは生きている」で一旦飛び込んだマンガ界のピラミッドから、武蔵のようにあっさり飛び出す決意はなかなかできなかったように。

乱暴なようで、破天荒なようで、型破りのようで、しかし実は自分自身が体制やシステムの中から飛び出せない不自由さを抱えているのもまた、佐々木なのです。

これは、デビュー作の「おお!われら三人」で、どれだけ暴れても予科練に入れさせられることを回避できなかったときから、もう始まっているもの。
序盤ではあきらめるなと発破をかけてくれた担任が、このときには目を閉じて無言だったのも、佐々木の状況のどうしようもない動かし難さを示唆してて泣けます。

それは、佐々木が“天才”ではなく、結局は“天才”になれない“秀才”タイプだということとも無関係ではなく。
(「フィルムは生きている」で、佐々木は天才型、武蔵は努力型と作中で言及されてますが、武蔵のエキセントリックな言動からして、実際のところはマヤと亜弓さんのごとく逆に違いないし、それを一番分かってるのは佐々木本人だと思う)


例えば、これがロックならば、前にロック語りで、子ども性と大人性の間を揺れ動きながら自分のためのユートピアを探し続けてるのがロックの40年間の役遍歴だという解釈を書いたように、生きること自体の不自由さは抱えていても、自身の世界との向き合い方はもっと自由であやふやで未知数で不安定。

「来るべき世界」で、“来るべき”ものの前で混乱する世界に理不尽な扱いを受けたとき、ランプはその世界にしがみついて、のし上がることを疑いもせず選びましたが、ロックはそんな世界そのものを自分からあっさり否定する。このときは内側に向いたその衝動は、後に「バンパイヤ」で外側に向かってはじけたときには、嬉々としてバンパイヤと組んで世界を変えてしまおうとする自由さへとつながっていきます。
子ども性か大人性か、針が極端に振れる中で姿を変えていくのがロックにとっての世界。

そんなロックと並んで思春期が似合うキャラである佐々木にとっての世界は、しかし、そんなに変幻自在でもなければ不安定でもありません。
逆説的にいえば、どれだけ乱暴で破天荒で型破りに振る舞っても、既にでき上がっているこの世界は変わらないと悟っているように見えるし、もっと言えば、自分が乱暴で破天荒で型破りでい続けるため、実はきちんと間合いを測って暴れているようにすら見える。
それが天然なのか、それともある種の賢さや聡さなのかはともかくとして。

それは、例えば「リボンの騎士」ウーロン侯役で、軽い口調に騙されそうになりますが、なかなかどうしてヘビーで動かし難い状況で、あえて道化を演じてみせることができる、あの狡猾さにもあらわれている賢さ。


しかし、その賢さや聡さは、彼のあの斜め方向の真っすぐさがある限りは、決して諦観や妥協にはつながりません。


それは「おお!われら三人」で、「俺はね予科練へ入ってもやりたいことをやるよ」と宣言したとおり。

力を持て余すように風を刀で切って鳥を落としていた彼が、やがて風の中に身を置いて「鳥にも鳥の生き方がある」と静かに鳥を見つめられるようになる、冒頭とラストを結ぶ美しいつながり。
これは単なる成長というだけでなく、五陵中学で佐々木であった彼が、予科練でも同じく佐々木であろうとした結果の必然。
(※ちなみに、この風の中での悟りは、後に「W3」台風の夜の真一くんで形を変えて繰り返されています。佐々木も真一くんも、手塚マンガの少年たちの系譜の中で、ロックやオクチンの“陰”とは対をなす、思春期の“陽”の部分を担ってる子たちだと思う)


ここまで語ってきた切り替えの早い潔さと斜めに行く真っすぐさとで、どんな作品のどんな役でどんな状況だろうと気にもせず、背中に背負うものが竹刀からペンから銃から包丁まで変わろうと頓着せず、佐々木はどこまでも佐々木のまま、陽性のカラカラとした笑いをまとって生き抜き、だから目的のための手段ではなく、手段そのものを飄々と楽しんでしまうのです。何と愉快痛快壮快。

 +

佐々木のそういう面の集大成とも言えるのが傑作「ハトよ天まで」。

ラストに明かされる正体と目的からすると、中盤の佐々木の行動は、お前…それ公言したらおしまいだろ結局何しに来たんだよとツッコミたくなりますが、彼の中では恐らく矛盾などはなく、ただ、どの場所でどの立場でも己であろうとしただけの結果でしかない。

本来はこの世界を俯瞰的に見られるチートに自由な立場のはずで、またそれをたまに利用して露悪的に振る舞ったりもしますが、背中に背負った刀の間合いをあえてこの世界の枠の外にまで伸ばすことはありません。

佐々木の役の中でも、最も強く、好き勝手で型破りで、抜け目なく、狡猾で計算高いこの男は、どこまで本気でどこから冗談なのか全く読めない振る舞いをしながら、ただただ、この世界での瞬間瞬間を至ってマジメに楽しんでいるのです。


一方でこの「ハトよ天まで」佐々木は、ほかの作品の佐々木にはない一面も見せます。

だって、あの佐々木が。
いつもなら、目的そっちのけで手段そのものを楽しんじゃう佐々木が。
自分でも卑怯だったと自覚してションボリしちゃうような手段を使ってまで、数年ごしの恋をしている女を手に入れようとするんですよ。
何という策士の卑怯でなりふりかまわぬ純愛…!! あー泣ける愛しい。

しかし、そんな一世一代の片思いをしているときでも、やはり佐々木は哀しいぐらいにどこまでも佐々木で。
小鹿に都へ行こうと本気で誘いながら、彼女のお腹に子供がいることを察すれば、クシャッと顔を歪めて苦笑いし、そして次のコマではさっさと立ち上がって、彼女とその子のために頼まれごとを果たしに出かけていく。
ここでいつものごとく発揮してしまう切り替えの早さが、表情の絶妙さもあって余計切ないのです。

最後にもう一度、小鹿を手に入れるチャンスが巡ってきたときも、いざというところで、これまたいつもの妙な執着心の無さを発動して、その手段をあっさり手放してしまうし、殺したかったとまで言う恋敵のハト丸のことも、その強さを一旦認めたら、やはりいつものごとく冗談を吐きながらも彼が助かる策を弄し、お節介な情報まで教えてやる。
(ここでカッコつけようとして、詰めが甘いというか間が悪いのも、また佐々木らしい)

そして、年老いた彼女にもう一度会いにきたとき、いつものごとく冗談に紛らわして自分の正体を明かしつつ、自分が散々暴れ回ったこの世界は、ゆるやかに時が流れながらもやはり何も変わらず続いていくことを確認して、彼はそっと去っていくのです。
でも、そこにあるのは、この世界で奮闘して生きた期間への虚しさでも、後悔でも、卑屈な感情でもない。

「ハトよ天まで」の主人公ハト丸は、七郎や武蔵と同じくいかにもな“主人公”的真っすぐさを持つ男で、彼がその真っすぐさでぶつかっていったものは、しかし、大きな山の一欠片の石を崩したぐらいにしかならなかった…ようにもこの物語の結末は見えます。
それでも、このお話のラストに残る余韻がさわやかなのは、この動かし難い世界の苦さをだれよりも分かりながら、自分や自分が愛した女や自分が認めた男たちが無我夢中で生きたことを佐々木が最後にまるっと肯定してくれたからだと思うのです。

物語の最後に佐々木が残した、苦しい時代を生きた人々がなぜ夢や空想を持てたのか、という問いの答えの一つは、実は既に彼自身が持っていました。
彼自身が言う「苦しい」「つらい一生」の時代でも、やはり佐々木はどこまでも佐々木のまま、この世界での生を「思い残すことはない」と言えるまで楽しみ尽くしたことで。

 +

というわけで。
佐々木燃えの思考整理の旅で、ここまでいろいろ読み返してみたものの。
冒頭にも書いた <<佐々木のオススメ作品鉄板ルート>> の構築は、やはりムリというか無駄という結論に達しました。
なぜなら、数多ある出演作品のどの作品でも佐々木は等しく佐々木でしかないのだから、ルートなんぞあっても無意味なようなもの。

だから、ルートなんぞ考えず手塚作品の深海におぼれてる合間に、いろいろな作品に飄々と顔を突っ込んでは何かしらやらかしている佐々木を、それぞれの人がふっと目にとめてくれればいいと思うんです。

先生自身が佐々木を「描きたくてしようがなくて」とおっしゃった「おお!われら三人」が打ち切りの憂き目にあった8年後に、今度は珍しく先生がラストまで「気持よく続けることができた」と語る「ハトよ天まで」で、佐々木が物語の最後を美しくしめくくる姿を見てしみじみしたり。

「フィルムは生きている」から「ナンバー7」、そして「タツマキ号航海記」まで延々と舞台を変えて続く武蔵=七郎との腐れ縁と仲良しケンカをほのぼのと見守ったり。

「ハトよ天まで」で叶わない片思い相手の女が妊娠して「おぬしの子ぐらいはたっぷり食わせてやりたい」とカッコイイ台詞を吐いてテング退治に出かけた佐々木が、その10年後の「B・J/奇胎」では、ちゃんと結婚して、妻のお腹に子供がいて、タンカ切った挙句に妻も子供も俺がちゃんと食わせてやると宣言するのを見て、あのときは空回りしたままだった思いが、ようやく報われる場所に落ちつけたんだなあと泣きたくなったり。

そんなささいなつながりとともに、どの作品のどんな端役でも、どこまでも佐々木でしかなく楽しくやっている彼を見つけては、ああ、ここでも相変わらず元気にやってるなと思ううち、いつの間にか読み手側に佐々木の魅力がじわじわ積み重なっていけばいい。

大雑把なようで計算高く、狡猾だけど純情で、世渡り上手に見えて実はお人好しで詰めが甘く、自由に型破りなようでいて跳び切れずに捕らわれていて、どこまで本気か分からないけれどその瞬間瞬間を大マジメに生きているだけは確かな男。
読みやすいようで、なかなかどうして手ごわく読めない、そんな佐々木もまた、「永久にしめくくりがないのがこの世の常」と語った手塚先生のマンガの一部なわけですから。



 +



ところで。

「おお!われら三人」で佐々木たち三羽烏が通うの学校の名は『五陵中学』。
これは、校章や同窓会の名称が似ていること、戦時中だけ歌われていた校歌が作中の校歌と似ていることなどから、明らかに先生の母校がモデルです。

先生が旧制中学に通っていたころは、時代的にはちょうど暗く重い時期に当たりますが、先生が当時に言及されているものを読む限り、少なくとも中学での時間は先生にとって、あの時代にあってもほのぼのと思い返せる、明るさを伴うものだった様子。

手塚初期作品のお洒落なモダンさは、戦前の豊かな文化を恵まれた環境でガンガン吸収して蓄積した手塚少年が戦後につなげて爆発させたものとはよく言われる定説ですが、それと同じく手塚少年が戦前に蓄積して戦後に作品に昇華させたものには、モダン文化だけでなく、旧制中学男子の陽気なバンカラ気質もあったはずだと思うのです。

それが少しずつ出ているのが、例えば「流星王子」や「ワンダー君」の学校パート、「快傑シラノ」のガスコン青年隊のわちゃわちゃ大騒ぎ。
そして、そのバンカラ気質をいよいよどーんと正面から扱い、出身校をモデルにして、自身がその時期に受けた教育である「ヤマトダマシイとか孝忠とかいうことをパロディにして」描こうとしたのが「おお!われら三人」で、その主人公として生み出されたのが、あの底抜けに明るい佐々木ら三羽烏。

前に書いた()()手塚作品の根源的な強さ明るさ、その土台、核になっているものは恐らく、その中学での時間だと思うんですが、すべてが暗いことだらけではなかったあの時代の明るい思い出の結晶の一つが、三羽烏の特に佐々木じゃないか…ってのはさすがに佐々木好きの贔屓目ですかそうですか。

でも、自分の命も自尊心もおぼつかない閉ざされた時代に、自分が描くマンガのロボットに「生まれて何の愉しみがありませう」「寂しく壊れてゆくのを待っているのですが いっそ誰かいっぺんで壊してくれないか」とまで言わせておきながら、一方で3,000枚もの原稿を黙々と描きためていたという手塚少年のエピソードを思うにつけ、どこに行っても「やりたいことをやるよ」とうそぶき、実際そのとおりにし通した佐々木の陽性気質な図太さ、しぶとさをついつい連想してしまうのです。

そんな佐々木好きの戯言。


 +


語り記事とはいえ、画像がないのが少しさみしかったので、
今年の手塚作品オンリーの記念トランプに参加させていただいたイラストを再録。

▽クリックで拡大



あの丸い目をクワッと見開いて大きい口を真一文字に結んだ顔でどこまでも走っていきそうな佐々木が大好きなのです。
Zのこの格好も描いてて楽しかったので、今度はちゃんと原作本編の時間軸でZマンガをまたいつか描きたいな〜。

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【-】  2016/12/02(Fri)







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