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天馬博士とひのえうま
テヅカごと  2011/02/28(Mon)17:28

2月9日に上げた絵に、いろいろとご反応ありがとうございました。pixivでも初めてランキング入れて嬉しびっくり。ランキング通知メールって都市伝説じゃなかったのね…。

ちなみに、幾つか無理やりお隣同士に組み合わせて描きましたが、天馬博士の横に転がしたジャガイモにコメントしてくださった方がいて嬉しかったです。えへへ。
ジャガイモのネタ元は、言わずもがなの「家は代々馬鈴薯をつくる」云々という天馬博士の公式プロフィール。
幾つか細かいバージョン違いはありますが、“馬”にちなんだ言葉を連ねている落語的なお遊びが、本人とのギャップもあってまた素敵なプロフィール文章です。


さて、このプロフィールによれば、我が愛しのマッドファーザー天馬午太郎さんの生まれ年は「ひのえうまどし」のようです。
20世紀における丙午年は1906年と1966年。(Wiki参照)
1966年を生まれ年とすれば、2003年アトム誕生時には37歳ということに。
うん、まあ、当時30代にしてはやや老けてる気もするけど、妥当なところだ。

しかし、彼を1966年生まれと固定してしまうと、どうしても気になることがあります。
「アトム今昔物語」オリジナルバージョンにおける、混血児トム=天馬博士というあの幻の設定との整合性は、一体どうなるのか。


というわけで、「アトム今昔物語」オリジナルバージョンの年表はどうなっているのか気になり出したので、整理しつつ書いてみることにします。天馬のためならエンヤコラ。


年代の太字は、作中でセリフその他により年がはっきり判明している基準年です。


--------「アトム今昔物語」新聞掲載オリジナルバージョン年表---------------


 ●1967年2月28日  アトム タイムスリップして地球に帰還

 ●1967年3月1日  アトムとスカラ 富士が台のアパートに入居

 ●1967年?月     アトム お茶の水の助手になる

 ●1967年夏?     アトム 家出をしてドロッピーのトムと出会う  

アトムが家を出る直前にヒゲオヤジ父とお茶の水、スカラが半袖を着ていること、熱帯の島に台風が来ていることから、アトムがトム=天馬博士と出会ったのは1967年夏ごろと考えられます。

 ●1967年?月    P国でバロー事件

 ●1967年夏〜秋頃  スカラ 縮小して谷川岳で暮らし始める

アトムの家出からしばらく経っていること、山登りシーズンでキキョウが咲いている(縮小したものをアトムが発見)ことから、これは同じく1967年の夏過ぎから秋と推測。

そして、冬を越し「1か月たち 2か月たち」とキャプションがあるので、おそらく年が明けて1968年になったころに、次のエピソードが起きているのではないかと。

 ●1968年     アトム 日本のお茶の水のもとを去る

後に1993年の時点で、38歳になった信ちゃんが「あれから二十五年もたってるんだよ」と言ったり、また、お茶の水もアトムについて「その子は二十五年まえに わしのところではたらいていた子じゃ」と言っていることからも、アトムが日本を出たのは1968年だったと計算できます。

 ●1968年前半   アトム ベトナムで機能停止

1968年10月にベトナム戦争の北爆が完全停止したということなので、アトムがベトナムで空爆を必死にくい止めてから機能を停止したのは、1968年前半のはずです。

ここからはしばらく時間が飛びまして、

 ●1983年   ジェームズダルトン博士 プラスチック人工皮膚発明

 ●1985年   日本の人口1億5,000万人に
          アメリカのドラッグ・ストアで初めて自律思考型ロボットを使用 

 ●1987年   ロボット用特殊皮膚開発

 ●1991年   アメリカの自動車会社で初めてロボットの職工を使用

 ●1993年夏  アトム メコン川のしゅんせつ船によって発見される

 ●1993年秋  アトム 東京の山中信吾のもとへ送られ、1日だけ再生

単行本の表題では「1993年夏」となってますが、スカラが冬眠中であること、しかし人々の服装が比較的軽装なことから、夏に発見されてから大使館を通して信ちゃんのもとに届くまで間があり、アトムが目覚めた1日は1993年の秋ごろじゃないかと。


少し話はずれますが、この1993年のエピソードに出てくる銀行ギャングの親分はやはり「火星から帰ってきた男」ユダ・ペーターなんでしょうか。

「火星から帰ってきた男」は、冒頭でアトムが言う「ぼくが生まれてからこれで…十八回目のクリスマスだなあ」という言葉から分かるように、2021年のお話。
日本とアジアに「子分を三千人持っていた」というユダが、強盗とテロの末に火星へ逃亡したのがその18年前、つまり2003年のことなので、その10年前の1993年の東京で、こうして宝石ギャングをしていても、おかしくはない。

この1993年に一度2人が会ってるのだとしたら、「火星から帰ってきた男」で、いきなりユダがアトムに「おまえは友だちだ」と一方的に認定しているのも分かるかもというか、ちょっとカワイイというか。
ユダよ… お前も、トム=天馬やお茶の水と同じく、若き日に会った天使アトムの顔が心に焼きついてしまったクチか。

ただし、「今昔物語」オリジナルバージョンでアトムがタイムスリップする前にいた時代は2017年なので、2021年の話である「火星から帰ってきた男」をくっつけるとなると、これはアトムが太陽に飛びこまなかった多元宇宙の話にすべきかしらん…とか何とか、考え出すと止まらなくなるな。


えー、話を戻します。
こうして時はまた流れ、いよいよアトム誕生の時代へ。
ここでの重要なできごとは、主に以下の3つです。

 (1)天馬博士 科学省長官に就任
 (2)トビオ事故死 ロボット製作開始
 (3)アトム(新)誕生

長官になった天馬博士が、かつてトム少年としてアトムと会った1967年のことを「今から三十年もまえ(中略)わしはロボットにであったんだ」と回想しているので、長官に就任した(1)は少なくとも1997年以降。

ここで問題になるのが(3)のアトムの生まれ年。オリジナルバージョンでは、アトムが信ちゃんに「ぼくは2013年に生まれたの」と言っているのです。
ちなみに、アトムが「2003年生まれ」設定になるのは、『図説鉄腕アトム』によりますと「アトム今昔物語」発表の約数年後、1975年発行のサンコミックスからだそうで。

しかし、ここで「2013年生まれ」設定をとってしまうと、次の計算がややこしくなってしまうこと、またこのオリジナルバージョンでも、アトムが生まれて1ヶ月後に乗る超音速旅客機に「二十一世紀のはじめごろには…」と説明がついているので、ここはおなじみの「2003年生まれ」設定をとって計算させていただきます。(やや強引ですが…)

さて、(3)を2003年とすると、須井柄氏がアトムの完成を「もう二年もまった」と言っていること、完成時のニュースで「三年にわたって製作された」とアナウンスされていることから、アトムの製作開始、それに先んじるトビオの事故死は2000年から2001年ごろと考えられます。

(1)の天馬長官就任から(2)のトビオ事故死までが、どれだけの間隔なのかが不明ですが、オリジナルバージョンでもその辺はあいまいながら、さほど離れていない様子はうかがえます。これもまた(3)を2013年ではなく2003年と見た理由。

というわけで、残りの年表は以下のとおり。

 ●1997〜2000年 天馬博士 科学省長官に就任

 ●2000〜2001年 トビオ事故死 ロボット製作開始

 ●2003年4月7日 アトム(新)誕生


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以上のように「今昔物語」オリジナルバージョンの年表は考えられます。

しかし、こうして整理すると、やはり1967年夏にアトムと出会ってるはずのトム少年=天馬博士が、丙午どしの1966年生まれだったとは考えられない。

あきらめ切れないまま、ここでもう一度、例のプロフィールを「アトム今昔物語」オリジナルバージョンで確認してみます。
ひのえうま年うまれ 群馬の人
本名午太郎 家はだいだい馬鈴薯をつくる
練馬大学を卒業
馬力をかさねて高田の馬場にある科学省に
ダークホースとして任官し、後に長官に出馬
(後略)

これは、手元にある光文社文庫版(おそらくサンコミックス版が底本)「アトム今昔物語」でもほぼ同じ。

ちなみに、天馬博士のプロフィールは「アトム大使」にも出てきます。
「アトム大使」には、講談社全集に収録されている『少年』掲載時のオリジナルバージョンと、それ以外の単行本で定本になっている1953年『漫画少年』に掲載された改訂版の2バージョンがあり、前者の講談社全集には天馬のプロフィールはなし。
後者の改訂版では、光文社文庫版を含めほかの単行本の「アトム大使」でもおそらく同じだと思いますが、「海馬の研究」をしていることが足されているほかは、「アトム今昔物語」とほぼ同じプロフィールが出ています。

ところが『図説鉄腕アトム』によると、『漫画少年』に改訂版が掲載されたときのオリジナルは、現在の単行本で読める改訂版「アトム大使」とは、プロフィール内容が少し異なってます。
というわけで、『漫画少年』掲載時のオリジナルを引用。
ひのえうま年うまれ、群馬の人。
本名午太郎、家はだいだい馬鈴薯さいばいをいとなむ、
練馬中学を卒業后馬力に馬力をかさね、馬(うま)く高田の馬場にある
科学省任官試験にダークホースとしてパスした
(後略)

つまり、単行本版と「今昔物語」オリジナルでは「練馬大学」、『漫画少年』の改訂版「アトム大使」オリジナルでは「練馬中学」と、出ている学歴が変わっているのです。

この2つのバージョンのプロフィールと「今昔物語」オリジナルのエピソードもとに、トムこと天馬博士の出生を無理やりに考えてみますと……

母親は群馬の馬鈴薯農家の出身で、都会で外国人(金髪)と恋に落ち妊娠するものの、何らかの理由で相手と結婚できず、群馬の実家に戻って出産。そして母親は出産後に死亡、もしくは子を実家に置いて出ていき、仕方なく祖父母のもとで疎まれて育てられる……
というベタな展開を、トムのセリフ「おやもわからないし兄弟もいねえ 学校もいけずこき使われっぱなしで…」のあたりから想像。

『漫画少年』改訂版のプロフィールどおり、中学が練馬だとすれば、小学校を卒業するかしないかのころに群馬から東京に出てきたはずです。
とはいえ、ドロッピーのエピソードの時点では学校に行っている様子はなく、本人も「学校もいけず」「ぐれちまってカンベツ所ぐらしさ」と言っています。ただし、あくまでも「カンベツ所」で少年院ではないことから、ドロッピーに入る前は大した罪もおかさず保護観察どまりだったのかも。
なので、小さいころに家出したか群馬の家族が亡くなったかで上京、学校にいく間もあてもないままグレて、保護観察中にうっかりドロッピーに入り、アトムと出会って助けられた1967年以降に改めてマジメに中学に通ったという流れかと。

アトムとスカラが住んでいた「富士が台」のモデルは、おそらく連載当時虫プロがあった練馬区富士見台。
アトムとトムが出会ったのがその近辺だとすると、トムが住んでいた場所もその近くの可能性があるので、アトムと別れて東京に戻ったトムが通うことにした中学が練馬というのも当然の流れです。

さて、アトムと出会って足を洗ったのが1967年夏なので、中学入学は翌1968年春。このときにちょうど13歳だったとして、中学を卒業する1971年には16歳。
2つのプロフィールに高校のことは書いてませんし、身寄りのない彼が高校に行けたとは当時の時代背景からして考えにくいので、天馬の「B・J」出演作「おとうと」のごとくシャカリキに働き出したと仮定すると、働きながら大検をとって練馬大学に合格するまでが、『漫画少年』オリジナルのプロフィール「練馬中学を卒業后馬力に馬力をかさね…」の部分に当たるのではと。

そうした事情だと、大学には人より遅く入ったかもしれません。仮に21歳で入ったとして、単行本版プロフィールのとおり大学を卒業するのは1980年で25歳。

「アトム今昔物語」オリジナルの年表では、上述の1985年にようやくアメリカの店でロボットが使われていますので、天馬が大学を卒業した1980年代にはまだ科学省でロボットを扱っていない、もしくは科学省自体が存在してない可能性もある。
とすると、1967年にアトムに会って以来「ロボットにとりつかれた」彼が選ぶ道は、お茶の水のように民間でロボット研究をすることでしょう。
単行本版「アトム大使」プロフィールの「海馬の研究」も、ロボットの人工頭脳研究の一環として、この1980年代の潜伏期間中にやっていたかもしれません。

「今昔物語」1993年のエピソードによると「1990年ごろには、改良されたロボットは、そうとう出回っていた」ので、天馬にとっては喜ばしいご時世になってきますが、一方でロボット撲滅同盟があったり、ほとんどはアメリカからの輸入だったり。
この流れを見て、民間で下からコツコツ開発するのではなく、上からどうにかしていかねばと思い立ち、科学省に入ることを決意したとしても不思議ではない。
仮に1990年に入省試験を受けるとして、このとき天馬35歳。

しかし、この「今昔物語」ワールドの科学省が、現実の他の省庁と同じく国家公務員I種試験を受けなければ入れないとすると、試験資格は21歳以上33歳未満。
中途採用の道もありますが、愚直にロボット研究のみしてきたであろう彼の経歴だと、ロボットに力を入れていない当時の科学省に枠がある見込みは少ないです。

しかし、ここで11歳サバを読んで1966年、すなわち丙午どし生まれということにすれば、24歳となって受験資格の門をすり抜けられます。
長官就任後にだれも天馬の若いころのやんちゃを知らない様子からして、彼の練馬大学以前の経歴は、金髪トムから黒髪午太郎に変わった時点で、不良だったことも含め何らかの方法ですり替えられていたのかもしれません。
プロフィールでいう「いまに馬脚をあらわすなどとヤジ馬の下馬評」は、その経歴の謎への疑惑もあるかも。

かくして彼は、丙午どし1966年生まれということにして科学省に入り、そのあいまいな出自ゆえに「ダークホース」とささやかれながらも、その天才性ですべてをねじふせて長官へと出世し、満を持して自らがとりつかれたロボットを科学省の主要事業にしていくのです。
2003年にアトムが生まれたときの天馬博士は、公称37歳ながらも実は48歳。
40に近くなっての子どもだからこそトビオの死をあれほど嘆き、50も近くになってから再び生まれた子どもだからこそアトムにあれだけの愛憎を抱く彼の心を、人はだれも理解できない……。



……と、「アトム今昔物語」オリジナルバージョンのトムエピソードと、丙午どし生まれというプロフィールの整合性をやや強引に考えてみました。うん、強引すぎる。

そもそもが単行本で早くに消された設定なので、もともとなかったことになっているエピソードなんでしょうが、幾度も改変と再生をくり返して多元宇宙になっているアトム世界のことだもの。天馬がかつてトムだった宇宙が1つぐらいあってもいいじゃないか。
どのアトム作品の天馬にも共通している痛切な孤独を、このドロッピーのトムもまた同じく内に抱えていると思うから。



しかし、「アトム今昔物語」の天馬で最も泣けるのは、トムの話でも、アトムを捨ててしまうことでもなく、アトムの両親ロボットをひそかに造ってあげるとき、母親は、かつてトビオ=アトムの母だった自分の妻をモデルにするのに、父親は、かつてトビオ=アトムの父親だった自分と全く正反対のロボットを天馬自身が造るところなんですよね、何度読んでも。
“自分”を2人造らないことで、アトムと自分をつなぐ唯一の線を切れさせまいとする必死さもあるんでしょうが、どんな想いで、あの「のんきなとうさん」のプログラミングをしていったんだろうかと考えると、トビオとアトムに対する狂わんばかりの感情の深さと、科学者としての恐ろしく冷静な客観性との併存に震える。

そして、「鉄腕アトム」本編の「アルプスの決闘」で凍えながらアトムを求める天馬を、もうほかに家族がいるとアトムに拒絶させておきながら、13年後の「アトム今昔物語」で、他ならぬその天馬にわざわざ、そのアトムの家族を造らせるというところに“手塚治虫”という作家性を感じ、また震えるのです。


これも多分、どうしようもなくやるせないのに読んでしまう「アトム今昔物語」の誘引力であり、自分が天馬博士に魅せられる理由ともつながっているところなんだろうなあ。
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