アリトホシクズ

 テヅカオタクの楽描きと語りとメモ
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姫川アトム再び
テヅカごと  2009/09/01(Tue)23:57

恥を忍んで昔の絵を引っ張りだしてみる。



仕事でしばらく潜ってる間に、姫川明先生お仕事ブログにこんなニュースが。
(拍手でお知らせ本当にありがとうございました。わーい)

姫川先生版「青騎士」が9月26日発売の月刊ケロケロエース11月号で連載開始

だそうです。おおお、何と予想外にびっくりめでたい!

まさか、2003年アトムイヤーにあれだけ熱いコミカライズを見せてくださった姫川アトムを、しかも今度は青騎士で、もう一度連載で見られるとはー。
ハリウッドですか?これもハリウッドのおかげなんですか?
え、今、初めてハリウッド版にありがとうを感じた瞬間かもしれない。
うん、もう、アトムの顔が長いとか天馬が怖いとか言いません。ごめんなさい。
(パパの声には期待してるんだよ、ホントだよ)
(アトムの声も、ぼく孫のゆーかのように化けてくれますように)


ああ、それにしても懐かしく嬉しい名前です、姫川アトム。
2003年のアトムイヤーを全力で駆け抜けた燃料の一つは、まさにこの姫川明先生版のアトムがあったからで、学年誌2誌とコロコロの並行連載という変則的な形を1年間追っかけましたが、平成アトムの世界観でありつつ、なおかつ原作アトムの要素を違和感なく織り込んでいるという、プロのコミカライズだったと思います。

個人的に、平成版の世界観が大好きだからこそ、アニメで未消化のままに終わって残念だった伏線や設定とか、原作で好きだからこそ平成版の世界の中で見たかった図などを、姫川版の中で具現化してもらえて嬉しかったことが、多々あったり。
アトムが子どもたちの間に溶け込んでいく過程や、自分の体に秘められた力に対するアトムの戸惑いの描き方は、長年、子ども達に向けてマンガを描いてきた方なんだなぁと思わせられる自然さだったし、天馬アトム親子と対になる存在としての徳川アトラス親子は、アニメ版以上に踏みこんで描いてくださってました。
ロック編のロックの解釈もすごく好みで、母性を介したタマミとのラストは、余りにツボそのもの過ぎてどうしようかと思った。
平成版同様、絵にも話にも、とても優しいものがベースに流れているのも好きだったな〜。

↑の絵は、アトラス編の終盤で徳川親子の和解に泣いて描いたもの。
アニメで全てを伝えきれないまま断ち切られた2人相互の想いが、TV放送から半年以上経って、ようやく学年誌のほうで救われたというか、アニメでアトラスがアトムに託して自分は離しちゃった徳川の右手を、もう一度、今度はしっかりと自分の右手に繋げてくれたというか、とにかくこっちまで救われた思いで、単行本出る前に切抜きがクタクタになるくらい読み返してました。


姫川版ではアトラス編と天馬が主軸で、青騎士編を描けなかったのが心残りという先生の当時のコメントに一ファンの自分も同感で、いつか姫川版青騎士を見てみたかったので、まさかの連載決定が本当に嬉しい。

アトムイヤー以降も姫川先生のお仕事はちょくちょく目にしていて、平成アトムの頃の少し手塚チックな要素も入った丸っこさから、より鋭くシャープな絵になってこられている印象がするんですが、だからこそ、学年誌や平成版の制約がない場で(もちろん、また別の制約もあると思いますが)、原作でも特にヘビィな青騎士編を、姫川流にどのように描いてくださるのかが楽しみです。本当に楽しみです。



絵を探してたら、当時(2004年)、アニメ最終回を見て姫川版最終巻を読んだ勢いで、キーボードに叩きつけた感想が残ってたんで、恥さらしついでに↓に貼っときます。

もう、本当に平成版が…というか、原作からして天馬親子が好き過ぎるな、自分。

---------(2004/04/01)-----------------------------



ホントにねぇ…
感想書こうと思っても、「どこから この話を 始めよう」状態なんです が。
今まで、こういう状態に陥った時と同じく、ブクマ台詞で振り返ろうかと。
まだビデオ2回しか観返せてないんで、細かい違いは、スルーしてやって下さい。
長文ご容赦。嫌な予感の貴方は、迷わず、ゴーバック!
萌えも突っ込みも深読みも姫川版感想も(!) 全て ぶっ込み〜 !


■「私は お前が恐ろしくなったのだ」
 
 …やっと、繋がりました…
 #6から、ずーっと気になってた徳川親子と天馬親子の対になる関係。
 今回でやっとすっきり語られました。

 やはり天馬パパは、徳川と全く同じ過ちしてたんですね。
 「息子には何でも与えてきた!」と叫び、天馬に歯軋りさせた徳川パパは、
 息子が死んだ原因は自分にあると天馬に指摘され、狼狽する徳川パパは、
 最終話回想で語られる、トビオ生前の天馬パパ そのもの。

 正直言うと私、姫川版で、天馬パパの過去が3話も費やして語られてた最中、
 (小5も小6も両方元気に買ってたヲタです)
 「もーっ なんでアニメでは、この話してくれないんだー!」と
 ジタバタとしてたんです が。
 ……いざ、最終話の回想の天飛親子を見て。
 …………。
 あー…(溜息)
 #7を考えると、アニメ版天アト親子のラストには確かに、
 二十数分の中で「愛してる」を互いに言いまくってくれる(嬉)京都版・天飛親子や、
 すれ違いながらも、確かな愛情のやり取りが出来てた(悦)姫川版・天飛親子は…
 入り込む余地 無 い です。涙。


 #7でアトムが呟いた「僕は天馬博士に愛されていたのでしょうか?」と言う問いは
 #50までの諸々の事件(それこそ、姫川版理想的パパには無いアレコレ)の間に、
 「貴方は、僕を、愛してなんかいない!」と言う哀しみ怒りに変換されてて。

 #7で徳川が吐いた「化け物!」と言う言葉は、
 #50で、「息子の姿をした怪物を…!」と回想する天馬の言葉に、重なってて。

 #7で「肝心のロボットは、思い通りにならなかった」とせせら笑う、アトラスの言葉は、
 #50で垣間見えた、トビオアトムの反抗に驚愕する天馬に向けられていて。

 #7で「自分の息子を愛せなかった事だ…」と天馬に語られた徳川が、
 一度息子を失う過ちを犯したのに、再生した息子を憎み破壊しようとしてしまうように、
 #50回想では、天馬が折角再生しやり直すはずだった息子のロボットを
 自ら封印してしまう。

 #7のアトムの「身勝手です!」て叫びも、
 アトラスの「俺を 化け物にしたのは どこの誰だ!?」て叫びも、
 #50回想で、自分が制御不能な心を与えておきながら、
 それに恐れを抱いた天馬の身勝手さに、そのまま、ぶつけられて。

 そして、#7でアトラスを通して「貴方に…愛されたかったから!」と、
 自分の叫びを「父親」にぶつけたアトムの想いは……
 そのまま、#50のあのアトムに繋がってるんだと思います。
 「貴方は、僕を、愛してなんかいない!」は多分
 「愛されたかった・愛したかったのに!」の裏返し。
 (天アト親子主義のフィルター掛けてるからとか、そこ突っ込まない)


 最終話前夜の日記で、原作・天馬アトム親子に関して、
   永遠の童子 である事を選んだ 子供と
   成長する子供 である事を望む 父親 
 …て、書きましたけど。
 成長を恐れてアトムを捨てたアニメ天馬は、じゃぁ原作の裏返しなのかなーと
 思ったら、いやいや、原作天馬だって再度アトムを引き取ろうとした後、
 反抗されると アトムを撃ってシステムダウンさせ、
 人形状態の吾が子を執務室に転がしてました(オトウサン…!)
 
 トビオ=成長する人間の子供 である事を望みながら、
 掌中に留まる忠実なロボット である事を望む、その矛盾。歪み。

 そして、原作パパが息子アトムの反抗によって得た
 「ロボットは”正しい事”の為に、人間に逆らっても良い!」(@エジプト陰謀団)
 と言う覚醒は、後に
 「優れたロボットは愚かな人間を支配する」(@「アトム復活」)
 という妙な方向に発展していきますが、
 平成天馬パパの場合は、これを一足飛びに行っちゃったんですね。
 しかも、上記の歪みを抱えたまま。
 そこだけは、原作と違って。…嗚呼。


 #7で「あんたにチャンスをやろう」と、徳川に武器を渡した天馬の行動って…
 #50のキルリング(ある意味、凄い萌えアイテムじゃないか…カッ)を観た後だと
 すっきり繋がるなぁー。
 「私と似ている」男が、以前の自分と同じ行動をするのか、それとも…と試すパパ。
 そこには、自分はもうロボットの成長=反抗への「恐れを捨てた」と信じる
 歪んだ優越感があったんでしょう。 
 ……実は、ものすっごいズレてたけど ネっ!!(哀れみの眼)
 成長=反抗を最も恐れてたのは、実はこの人でしたよ。ああ、もう。


 
■「私こそお前を理解し、愛せる、唯一の人間なのだ!!」「嘘だ!」
 「それで良い…」「やっと全てを終わらせることが出来る」
 「これで私は 3度 自分の息子に否定された」

 あのー。3度て…。シャドーは、カウント、スルーですか?(ささやかな突っ込み)
 …と、それはまぁ置いといて。

 ちょっと前の日記で書いたけど。
 天馬にとっては、アトム(トビオ)こそが世界そのもの。同義。
 というのが私の今の解釈なんですが。
 天馬は、その「世界」を#49で失ったわけで。
 しかも、その前に#48では、自分の存在意義だったロボタニアまで失ってる。
 (姫川版と比べて、なんと言う落ちぶれ方! 涙)
 であれば、その先にあるもの、それは即ち「死」。
 だからこそ…

 望んだんでしょうね。彼は。
 自分を「死」に導く最後の一言を、アトムに言って貰う事を。
 自分の「死」のトリガー す ら も、アトムに引いて貰う事を。
 そしてそれは、決して、誰かに背中を押して貰えなければ死へと臨めない
 弱さではなく、それすらも、天馬パパなりのアトムへの情だったんだろうなぁ…

 うわぁ なんちゅぅ 愛だ!!!(涙)

 んで。
 その一言をアトムに云って貰う、ただそれだけ、そ れ だ け の為に、
 最終話放送時間の大半を費やして(…) 科学省を占拠するという事を
 やらかしたんですね、あの人は。

 うわぁ なんちゅう はた迷惑さだ!!!(愛)(←!)



 …姫川版とアニメ版とのラストには、細かいからこそ際立つ違いを感じます。

 「ぼくはこの世界がすき。人間がすき。
  あなたにそう作られたから――天馬博士!」
 て姫川版アトムの台詞。 う うわぁぁぁーーん(涙)。

 もうっ 姫川版ラストは、画に優しさが満ち溢れていて(そこに作者様の特性を感じる)
 この台詞を、アニメアトムにも言って貰えれば… と、心から思うのです が。

 多分、それは無理です。
 アニメ天馬と姫川天馬が、ここまで辿って来た経緯も、ラストでの立場も、
 余りにも違いすぎるから。
 アトムをロボットの王とする理想を語る両者の台詞も、
 この時点で、ロボタニアが掌中にある姫川天馬のそれは、まだ現実味がありますが、
 全てを失ってたアニメ天馬の口から出るそれは、上述したように、
 死へのトリガーをアトムに引いて貰う為に叫んでいる、虚しくも痛々しい台詞。

 だからこそ、両者には違う救済……
 最終的には「一人の父親」としてアトムと向き合う事なんですが、
 そこへ導かれるまでの道のりは別々……
 が、必要だったのだから。


 ラストで、未だ「創造主」の地位にあった姫川天馬に必要だったのは、
 「世界」に目線を降ろし、アトムを、そしてロボタニアを掌中から旅立たせる事。
 
 でも、既に「神」の座を追われ、地に堕とされていたアニメ天馬に必要だったのは…
 何処かからか降りる事では無く(もう降りてる…と言うか堕ちすぎ)
 何かを手放すことでも無い(手放すものすら何も無い)。
 それは何かと言うと…



■「死なないで…お父さん!」

 お おぉお おおぉぉぉ…  お父さんっっ!!!(滂沱)
 文字打ちながら、泣きそうですよ、ぐすっ。
 この台詞は決して、唐突ではないと思う。
 と言うか、こっちはこの一言を50話待たされたんだよー!カッ!
 (#6の「オトウサン…」はカウントしません)

 アニメ天馬に必要だったのは、これです、これなんです。
 何もかも…世界も存在意義も失ってた天馬に与えられた、「父親」と言う名の自分。
 空っぽのコップに、注がれた水。
 それを与え、天馬を、絶望と言う名の安息=死から掬い上げたのは、
 天馬の胸に飛び込んで抱きしめた、天使アトム…おぉぉっ
 ここのシーンの、アトムが腕を広げるカットと言ったら…くっ

 姫川版アトムの、去り行く父親に子供としてすがりつくあの仕方は、
 アニメ版では出来ない、姫川アトムだからこその抱きつき方なんだろうなぁ…
 だって、アニメ版では、天アト親子の抱擁はラストのあの時が初めてで、
 しかも、先に手を広げたのはアトムの方ですが、
 姫川版では、そのずっと前に、先に手を差し出してくれたのは天馬パパの方だから。
 (「抱かせてくれるかい」て、パパー!/悶)


 考えてみればアニメアトムは、長い事、彼を「天馬博士」としてしか観れませんでした。
 だって、「オトウサン」と知った直後が、あのアトラスの悲劇ですから。
 そして休む間もなく、金星ロボット騒ぎに地上最大ロボ事件での酷い発言…
 嗚呼。
 対照的に、初対面でも暖かい抱擁と、短いながらも「親子」の会話があった姫川版。
 何度も書いてるけど、平成版ではロボットの両親が出てこない分、
 アトムが「子供」の顔をしていられる時ってのは、本当に貴重でキラキラして見えました。
 その点、姫川版で、天馬と会話する時のアトムの顔と言ったら、もう。
 私が姫川版天アト親子を「理想的」と言う理由は、そこにあります。

 だからこそ。
 必要だったんですね。アニメ版アトムにも。
 天馬に「父親」としての自分が与えられる必要があったのと同様、
 アトムも「子供」としての自分を獲得しないといけなかった。
 既に「子供」の顔をしていられて、父親として去り行く天馬の
 背中を追いかける姫川版アトムとは違って、
 アニメ版アトムは、「来るな!」と言われても、
 正面からその胸に飛び込まなきゃいけなかった。
 だって、アニメ版アトムは天馬に、まだ「子供」として向かい合えてなかったから。

 ――で、ラストのあの瞬間…

 「オトウサン」と言う単語は、
 天馬だけにではなく、アトムにも必要だったんだと思います。
 #37で、アトラスが徳川を「お父さん…」と穏やかな顔で呼んだ様に。

 ラスト、議場で演説するお茶の水博士…
 自分の父親にふさわしいと、お父さんに公認された人
 …を見つめる、アトムの複雑な寂しそうな顔が凄く好きです。最高の作画。
 ようやく夢がかなった瞬間なんだけど、ここに来るまでに
 アトムには、余りに色々な事がありすぎたんだもんね…ぐすっ
 と言うか、かなった「夢」は大局的なモノであって、
 アトム個人の「子供」としての想いは、まだまだ昇華されてないものがあると思う。
 そして、「これから」と言うアトムの言葉には、
 やっと、「父親」「子供」と言う立場を獲得出来た二人が、
 どう向かい合っていこうか、それも含まれてるはず。
 
 正直、平成アニメ版天馬は、終盤どうしようもなく追い込まれて踏みつけられて
 観ていて胸が痛かったんですが…
 最後に、素晴らしい救済が待ってました。感涙。
 人としての弱さも愚かさも含めて、アトムが全て拾い上げて抱き寄せてくれました。
 

 長谷川さん、有難う。
 天アト親子主義者に、最高の贈り物を有難う。
 #6以来のもやもやを、一気に解決してくれて有難う。

 …でもね。

 だーかーらーこーそー。
 天馬アトム親子の「影」である、徳川親子の決 着 を っ!
 しなきゃいけなかったと思うんですよ、私は! ああ全くもうっ!!カッカッ
 いや、徳川親子だけでなく、あの人もこの人もその人も…もう終わりなのに〜悶々

 …でも、もう良いです。
 それら諸々全て吹っ飛ばす勢いで、私はあのラストに幸せでしたから。
 (と言うか、アトラスに関しては、姫川アトムと言う救済があるし(有り難や)、
  脳内補完の用意も気合も、バッチリですからね、あっはっは/ちょっとやけ)



 
全50話の結末を迎えて。
脚本とか構成とかキャラの扱いとか、色々言いたい事はあったけど(と言うか実際文句も言ったけど)
平成アトムは、欠点も全て含めた上で愛すべきモノをたくさん感じる作品でした。
(正直、欠点は無いけど愛せない作品てのもあると思う)

そして、ここまで燃え上がるのに拍車を掛けてくれた姫川版も…
あー。こちらは本当に、もっと連載してもらえないだろうか。
平成版アニメと原作、二つの大きな枷がある中で、あれだけのモノが
描けるんだなぁ…と、プロの心意気に心底感激した1年でした。
どちらも、お疲れ様でしたvv

そして私は、濃くて長くて短くて今までに無いペースで燃え上がった1年…
こんなに大量に文章書くのもね……はは。
途中、相当テンパッたり電波ったり凹ったり、1年平均すると微妙なテンションでしたが
お付き合いくださった方、読んで下さった方、感想の感想を下さった方、
本当に有難うございました!!

終わった今は唯一つ。
楽しかったなぁ…と、本当にそれしか残ってません。

そして多分、これからも。




以上、再録。

今読み返すと相当熱くて自分でも面白いですが、平成版(アニメも姫川版も)に対する評価や萌え指数は、当時と全く変わってないことに気づきました。大好きだー!
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